『国境リーグ』Web版 vol.7

国境リーグ Web版
『国境リーグ』Web版 vol.7

18

その夜、海人、グニョン、ウソンの3人は海人の母親のスナックにいた。
「私、ホテルの仕事辞めてきたわ」
グニョンが言った。
「えっ、辞めたんだ……」
海人とウソンは驚いた。
「私、チェ社長ってよくない噂があることは知ってたけど、そんな人だとは思ってなかったの。でも、私も騙されてたのね。三島さんの息子さんの病気を利用するなんて、絶対に許せないことよ」
「本当に最低の人間だな……」
海人が呟いた。
「ところで……」
ウソンが何か言いたそうにしていた。海人が尋ねる。
「どうした? ウソン」
「三島さんの息子さんですが、どこの病院に入院しているんですか?」
「東京の病院だと思うけど、どうして?」
海人が推測して答えた。ジャイアンツで活躍した三島が東京に家を持っていることを知っていたからだ。
「僕、お見舞いに行きたいんです。僕はサンミョンを助けてあげられなかった。サンミョンと同じ病気で苦しんでいる人がいるなら、少しでも勇気づけてあげたいんです」
「そうだなー。まだ17歳になったばかりだって言ってたなー。明後日は練習休みだから、ふたりで東京へお見舞いに行こうか」
「ちょっと待ってよ。私は?」
「だってグニョンはホテ……。そうか、ホテル辞めたんだ。それじゃ3人で行こう」
「賛成!」
グニョンとウソンが声をそろえた。
「グニョン、ホテル辞めたってことは、住むところはどうするんだ? もうホテルの寮にはいられないんだろう。俺のところ来るか? 母ちゃんとふたりだから狭いけど……」
「ううん。高校の時の部屋が空いてるって、山崎のおじさんが言ってくれてるから、山崎のおじさんのところへ行くわ」
「そうか……。残念な気もするけど、そういうことはちゃんとしないとな」
「何をちゃんとするんですか?」
ウソンがとぼけて見せた。

翌々日の早朝、3人は対馬空港にいた。前日、海人が三島に電話して息子の入院している病院を聞いた。すると東京ではなく福岡だった。福岡大学病院の心臓血管外科に入院しているということだった。
福岡国際空港に着いた3人は、地下鉄を乗り継いで福岡大学病院へ向かった。
福岡大学病院へ着くと、心臓血管外科へ行き、窓口で「三島つばささんの病室は何号室ですか?」と海人が尋ねて、病室番号を聞いた。
地下鉄に乗っていたときに3人、病室へ向かう途中に2人、海人は見知らぬ人から声をかけられた。2軍とはいえソフトバンクホークスの選手だった海人は、福岡では有名人である。もちろん対馬、特に厳原ではプロ野球選手であった海人を知らない人はいないが、幼い頃から知っている人が多く、有名人として声をかけてくる人はほとんどいない。しかし、福岡では違う。ホークスの選手だった上原海人に声をかけてくるのである。中には海人が戦力外通告を受け、すでにプロ野球の世界に居場所がなくなったことを知らない人もいる。「早く1軍で投げてください」と、辛いことを言われてしまうこともあった。海人は「ありがとうございます。でも自分はもうホークスの選手ではありません。今はもうすぐ開幕する国境リーグの選手としてがんばっています」と、バツが悪そうに説明しなければならなかった。その様子を見ていたウソンは、「国境リーグで活躍したら、海人は韓国でも有名人になりますね。美人のファンもたくさんできて、グニョンは心配になってしまいます」と空気をなごませようとする。グニョンも「あっ、海人、今、変なこと想像したわね~」とおどけてみせる。それを受けて海人が照れながら「俺はグニョンしか見てないからさー」と返すことで気まずい空気をかき消すことができた。海人は改めてウソンの優しさに触れ、ウソンは間違いなく生涯の親友だと思うのだった。
三島のひとり息子、三島翼は、6人部屋の窓側のベッドにいた。
「三島翼くんだね?」
窓の外をぼんやり眺めている翼に海人が声をかけた。
「はい。そうです」
翼が答える。
「僕たち対馬から来ました。君のお父さんから君が入院していることを聞いて、早く元気になって欲しいから君を応援しに来ました」
ウソンが言った。
「俺は上原海人。彼はユ・ウソン、彼女は……」
海人が紹介しようとした時、グニョンは自ら名乗った。
「コ・グニョンです。翼くん、よろしくね」
翼の目に覇気はきがないと感じたグニョンは、あえて元気よく自己紹介した。
「翼くん、これ翼くんに食べて欲しくて持ってきたんだけど、嫌いだったかな……?」
「さくらんぼですか? もう出回ってるんですね。僕、さくらんぼ大好きです」
「そう。良かったー! ちょっと待ってて、私、洗ってくるから」
そう言うと、グニョンはさくらんぼを持って病室から出て行った。病室に入ったときには暗かった翼の表情が少しだけ明るくなったと感じた海人が、翼に話しかける。
「翼は、対馬で野球の独立リーグができることは知ってるだろ?」
「もちろん知っています」
「俺とウソンはその国境リーグの選手なんだ」
「そうなんですか。同じチームなんですか?」
「違います。僕はプサンのチーム、海人は対馬のチームに所属しています」
ウソンの説明に海人が言葉を加える。
「そうなんだ。俺とウソンは高校のときからの知り合いだったんだけど、国境リーグの合同練習で再会したんだよ」
「そうなんですか。グニョンさんはチームのマネージャーですか?」
「マネージャーではないけど、リーグを運営するスタッフのひとりってとこかな」
海人の言葉に今度はウソンが付け加える。
「翼、海人とグニョンはとっても仲良しなんですよ~」
「恋人同士なんですか?」
「はい。その通りです」
ウソンがはっきり答えた。
「なんでウソンが答えるんだよ。そりゃ、その通り、とても仲良しだけどな……」
翼の表情が一気に明るくなった。
「ところで、翼くんのお父さんは有名なプロ野球選手だったけど、翼くんは野球やってないんですか?」
ウソンが翼に聞いた。
「あっ、はい。やってました。でも、病気になっちゃってからはやっていません」
「そうかー、翼も野球やってるのかー。ポジションはどこなんだ?」
海人が聞いた。
「キャッチャーです」
翼の返事を聞いて、ウソンが嬉しそうに言う。
「翼くん、僕もキャッチャーです。キャッチャーは頭が良くないとできないですよね」
「そうね。海人にはできないわね。翼くん、洗ってきたから、良かったら食べてね」
さくらんぼを洗って戻ってきたグニョンが言った。
「コラ! グニョン。俺だって投げる時、いろいろ考えてるんだぞ」
「海人さんはピッチャーなんですか?」
少し頭を下げた後、グニョンから差し出されたさくらんぼを、口に入れながら、翼が聞いた。
「そうだ。俺はピッチャーだ。翼、元気になったら俺のボール、受けてくれるか?」
「はい。受けさせてください」
翼の表情は、海人たちが病室に入ってきたときとは全く違っていた。
「俺のストレートは速いぞー。スライダーも曲がるぞー。それとな、最近、フォークボールも覚えたんだ」
海人は、腕を振ったり、指でボールを挟むしぐさをしながらおどけてみせた。
「高校のときは僕が勝ちましたけどね」
ウソンが海人に向かって舌を出しながら言った。翼は笑う。
「翼くん、本当に早く元気になってね。元気になったら対馬へ遊びにおいで。対馬はいいとこよ。おいしいものはたくさんあるし、私みたいな美人もたくさんいるわよ」
「グニョン、お前、自分で言うかー。そりゃ、お前は世界一の美人だけどさー」
「ふたりは熱いですねー。一緒にいると僕は火傷やけどしてしまいます」
病室に笑い声が響く。
それから3人は、1時間ほど翼の病室で楽しい時間を過ごした。

19

病院を出た後、海人の提案で3人は辻村の会社を訪ねた。突然の訪問だったが、辻村は快く3人を迎え入れ、天神てんじんにある辻村行きつけの天ぷら屋で食事をすることになった。
4人は個室に案内され、辻村が人数分の生ビールとコース料理を注文した。生ビールが運ばれて来ると、まず辻村がジョッキを手に取り、3人も続いた。
「カンパーイ!」
辻村がジョッキをかかげた。
「カンパーイ!」
3人も辻村のジョッキに自分のジョッキを近づける。そして、まず海人が辻村にお礼を言う。
「辻村さん、この前は本当にありがとうございます」
「ホントだぞー。俺に感謝しろよー。億の金簡単に出す奴いないぞー」
辻村は、いつもの調子で返した。これにウソンがカタコトの日本語でふざけてみせる。
「ホントです。ツジムラさん、どうかしてます」
「どうかしてるはないだろー。ウソン。かわいい海人に頼まれたら、俺はいくらでも出すぞー」
辻村は隣に座っている海人の頭をでながら言った。
「本当に辻村さんが助けてくれなかったら今頃国境リーグはなくなってました。そうなってたらと思うと……。俺は……。本当にありがとうございました……」
海人は目に涙をためているようだ。それを見たグニョンも辻村にお礼を言う。
「あの人たちの企みを止めてくれて、本当にありがとうございました」
グニョンがいう「あの人」たちとは、パク市長とチェ社長である。
「ボクはわからないけど、球場が建つ予定の土地はそんなに良い土地なんですか?」
ウソンが海人の方を向いて問いかけた。
「あそこには、厳原の50代以上の人たちが通ってた中学校があったんだ。倒れそうなのを棒で支えるくらいとっても古い校舎だったらしい。50代より上の厳原の人にとっては思い出がたくさんあるんだと思う。もちろん俺も少年野球の頃からあそこで泥まみれになって野球してたから、あそこにホテルが建ったりしたら、たまらなく悲しいよ」
海人が答える。これにグニョンが続く。
「私、あの後、ホテルの寮へ荷物を取りに行ったとき、慶尚ホテルに長く勤めてる女性の先輩からこんな話を聞いたの。社長が10歳くらいのとき、対馬に旅行に来たことがあるんだって。そのときにね、あそこにあった中学校の一部だった心字池しんじがいけのところで、父親の対馬の知り合いの人の子どもと一緒に遊んでいたらしいの。相手の子どもも同じくらいの歳で、言葉は通じなくても韓国語と日本語で不思議と会話が成り立っていたっていう感じだったのかな。そんなふたりの韓国語と日本語の会話を遠くで聞いていた3人の中学生が、突然、社長に石を投げてきたんだって。『チョーセン、チョーセン』って言いながら。それを近くで見ていた社長のお母さんが、中学生たちに『バカにするな!』って日本語で怒鳴ったそうなの。だけど今度は中学生たちの標的がお母さんになっちゃって、『パカにするなー。パカにするなー』って、『バ』を『パ』に変えて、お母さんの日本語をバカにするようになっちゃったそうなのよ。私にも経験があるけど、言葉を真似してバカにされると、どうしようもなく悲しくなるもの。お母さんは泣きだしちゃったそうなのよ。社長はそのときの出来事が、心の傷になってたんじゃないかって、ホテルの先輩は言ってたわ」
「差別か……。今も昔も変わらないな」
海人が呟く。これに辻村が言葉を加える。
「イヤ変わらなくはないな。昔の方が差別はひどかったぞ。在日韓国人や在日朝鮮人の人たちに対して、俺の世代でもずいぶんひどいことを言ってたから。在日の人でも2世や3世になれば言葉は日本人と変わらないけど、無理やり日本語を覚えさせられた人たちは、どうしても言葉が日本人とは違う発音になってしまうから、バカにされてしまう」
「私も高校のときから日本語の発音で差別を受けてきたわ……」
グニョンが表情を曇らせて言った。
「人間に上も下もありません。この人が言ってたでしょ」
そう言ってウソンが財布から出した1万円札の肖像を指さした。
「私、チェ社長が許せないことをしたことは事実だから、もうあの人と関わりたくなくてホテルは辞めたけど、私がまた対馬に来ることになったのは、あの人が背中を押してくれたからだし、小さい頃の差別があの人を動かしていたのだとすれば、少し同情してしまう。だから、いつか会うことがあったら、しっかり『お世話になりました』って伝えたいの」
グニョンは、チェ社長に対して複雑な気持ちを抱いているようだ。このグニョンの言葉を聞いた辻村が話題を変えた。
「それにしてもお前たち偉いね~。海を渡ってお見舞いに来るなんて」
「翼を元気づけたかったんです。なぁ、ウソン」
海人がウソンを見て言った。
「はい。僕は親友のサンミョンを心臓の病気で失いました。翼には必ず元気になってもらいたいんです。そして一緒に野球をしたいです」
ウソンの言葉を聞いていたグニョンがウソンに訊ねた。
「そういえばウソン、病室から帰るとき、翼くんとふたりで何か話してたわね? 何を話してたの?」
「翼の血液型を聞きました。僕と全く同じでした」
「そうかー、それじゃ輸血が必要なときにはウソンなら血液を提供できるんだな」
海人が言うと、ウソンはこれを否定した。
「違います。輸血のために聞いたのではありません。僕に万が一のことがあったら翼に僕の心臓をあげる約束をしました」
「なんだって!」
「なんですって!」
海人もグニョンも声をあげた。辻村は、声は出さずに驚いた表情を見せた。
「僕に万が一のことがあったらという話です。その可能性は誰にでもあります。僕が万が一脳死のうし状態になったら、僕の心臓を翼に移植してもらえるようドナーカードに書いておきます。僕の両親にもそうしてもらえるように話しておきます。翼と僕は年齢も近いし、背格好も同じくらいです。心臓を移植することはできると思います。あくまでも僕に万が一のことがあったらですよ」
ウソンは、真顔で3人に、自分に万が一のことがあった場合、三島翼へ自分の心臓を提供するつもりであることを語った。海人もグニョンもウソンの優しさと誠実さに驚かされた思いであった。
その後、4人は、2時間余り、食事をしながら会話を楽しんだ。ウソンは、韓国でもテレビの通販番組を持っている辻村に興味津々で、休日にスタジオを見学させてもらう約束を取りつけた。店を出た後、辻村は会社へ戻り、3人は午前0時に対馬へ向けて出航するフェリーに乗るため港の博多ふ頭第2ターミナルへ向かった。

20

緊急理事会から1週間が経った日の午後、対馬市長阿比留の携帯が鳴った。辻村からである。緊急理事会では、さすがに辻村の理事就任を拒むことが出来なかった阿比留だが、辻村が理事に加わったことで新たな不安要素が加わったことは確かである。だが、予想に反してこの1週間、辻村から阿比留への連絡はなかった。阿比留にしてみれば、とうとう来たかという思いである。辻村が「将来的に国境リーグとIRを連携させて……」などと言い出したら、断固拒否するつもりである。
「はい」
あえてそっけなく電話に出た。
「おー、市長―、俺だよ、俺。お前、俺の番号登録してないの?」
「してるよ。一応」
「登録してるんなら、もっと嬉しそうに電話に出ろよ。長い付き合いのお友だちが電話かけてきてるんだからさー」
「何度も言うが、あいだが抜けてるだろうが」
「離れてた時期も俺はお前のこと忘れたことないんだぞー。……嘘だけど……ってね」
「もういいから、早く用件を言え!」
「はいはい。わかりました。昨日な、俺、仕事で用があって東京へ行ったんだわ。それでな、会ってきたわけよ」
「誰と?」
「酒井社長だよ」
「酒井社長? プライムのか?」
「ほかに誰かいるか? 酒井社長……。まぁ、いるはいるだろうな……。でも正解。そのプライムの酒井社長」
「何で?」
「何でって、お前、国境リーグへの出資をお願いしに行ったに決まってるだろうよ」
「何でお前が?」
「俺だって理事だからな。国境リーグの」
「そうだったな……」
阿比留は、あえて辻村が理事になったことを忘れたふりをした。
「酒井社長に約束してもらったから」
「何を?」
「また、お前、とぼけるねー。出資だよ。酒井社長は、当初の予定通り、残りの四十億円を国境リーグへ出資してくれます! はい。俺、がんばりました!」
「本当か?」
「本当だよ。こんなことでうそつかないよ」
「本当なら、これ以上ありがたいことはない……」
阿比留の気持ちは複雑である。言葉通り、本当ならこれ以上ありがたいことはないのだが、辻村は酒井社長と1回会っただけで、40億もの出資を約束させたのだという。信じがたい。阿比留自身もこの1週間に2回、酒井社長にコンタクトを取ろうとしたが、電話をつないでもらうことすらできなかった。チェ社長に名前を貸していただけだったのだから、それも無理はないが。
「だから本当だって。正式には、松尾さんに1回東京へ行ってもらって、契約し直さないとダメだけど、酒井社長は約束してくれたから大丈夫だ」
辻村は自信たっぷりである。
「約束ってお前……。俺もコンタクト取ろうとしたけど、電話をつないでもらうことすらできなかったんだぞ」
「そりゃそうだよ。向こうだって国境リーグ関係者には会いづらいもん。いろいろ責められるって思うだろうから」
「そうだ……な」
認めたくないが辻村の言う通りである。阿比留からの電話に酒井社長が出たくないのは当然だ。
「その点、俺は問題なく酒井社長とコンタクトを取ることができるわけよ。だって俺が国境リーグの理事になったってことは、まだ世間の人たちは知らないからね」
「確かに」
「俺は山猫ネットの辻村としてコンタクトを取って、酒井社長と会ったんだけど、改めて国境リーグへ出資することのメリット、要するに対馬に直営店を開くことのメリットを、いろいろと説明したのさ」
「なるほど……。それでお前の説明に納得して、改めて40億円出すって約束してくれたのか?」
「そういうこと。国境リーグが始まったら、最低でも今の倍は韓国人観光客が増える。だけど、野球の試合はせいぜい3時間くらいだ。残りの時間は何をするかって話だよ。まだ数回しか対馬に来たことがない観光客ならいろいろ観光もするだろうけど、何度も来てる人は、さすがに行く所がなくなってくる。そこでパチンコよ。プライムの直営店は大繁盛するよ。ポイント還元かんげんとか、観光客を優遇する措置を取っておけば尚更さ。野球をやってないときに来る人も出てくるはずだ。なんせ日帰りもできるんだから」
「お前のその説明に酒井社長は納得したってことか……」
「そう。もともと俺は、プライムは上手いこと考えてるなぁって思ってたんだよ。チェ社長に頼まれて手を貸してたんだろうけど、そこは割り切って、チャラにして、改めてこっちと手を結ぶことを酒井社長は約束してくれたよ。チェ社長が出してた最初の10億円も酒井社長からチェ社長に返すと言ってたぞ。それが誠意だって」
「本当か? それはありがたい。その10億円のことも気になってたんだ。それも含めて、酒井社長が出資してくれると本当に助かる」
「酒井社長はお前や松尾さんに謝りたいって言ってたぞ。直接つながる携帯の番号も聞いておいたから、お前が直接電話してくれ」
そう言うと、辻村は酒井社長の携帯電話の番号を告げて、電話を切った。
電話を切った後、阿比留は、メモした番号へすぐに電話をかけた。
「もしもし」
2コール目で相手は出た。声は確かに酒井社長である。携帯電話で阿比留と酒井社長が話すのは初めてだ。これまでの会話はすべて会社の電話へかけてのものだった。酒井社長は代理人を通して交渉していたため、直接、阿比留や松尾と会うことはなかった。阿比留も松尾も酒井社長の携帯番号すら知らされていなかったのだ。
「対馬市長の阿比留です。酒井社長ですか?」
「はい。酒井です。阿比留さん、この度は本当に申し訳ありませんでした」
「この番号は、国境リーグ理事の辻村から聞きました。昨日、辻村と酒井社長が交わされた約束についても先程、辻村から説明を受けましたが、先に入金された10億円の返却分も含めて、残りの40億円とともに、総額50億円を国境リーグへ出資していただけるということでよろしいでしょうか?」
阿比留はいきなり本題に入った。少しでも早く、辻村が言った総額50億円の出資を確認したかったのだ。
「はい。総額50億円、国境リーグへ出資させていただきます」
「ありがとうございます。本当に、本当に助かります」
阿比留の声は震えていた。
「ただし、直営店の出店場所については、以前、ご提案いただいた場所ではなく、もう一度、検討させてください。こちらからスタッフを派遣して場所を選定したいと考えています。よろしいでしょうか?」
「はい。わかりました。スタッフの方々が来島されるときはご案内しますので、ご連絡ください。それと、新たに契約を結び直す必要がありますから、近々、理事長の松尾を東京に伺わせたいと思いますので、日程の調整をお願いします」
「わかりました。阿比留さん、今後ともよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
電話を切った阿比留は、「フゥー」と、大きく深呼吸をした。そして、履歴から辻村の番号を押した。辻村はすぐ電話に出た。
「おー、市長―、電話したか?」
「今、酒井社長と話した。お前の言った通りだ。酒井社長は改めて50億円を国境リーグへ出資してくれるそうだ」
「なー、俺の言った通りだったろう。これで阿比留も少しは俺を見直してくれるかなー?」
阿比留はイラッとしたが、認めるしかなかった。
「ああ。お前の力を借りるのは不本意だが、認めざるを得ない。お前はすごいな」
「何で不本意なんだよ~。大切なお友だちのためにがんばったんじゃないか~。もっと褒めてくれよー」
「わかった……。よくがんばってくれた。ありがとう。これでいいか?」
阿比留の口調はとても感謝している人のものではなかった。
「何か嫌な感じだな~。でも、まぁいいかっ。阿比留の力になれたんだし……。後のことはお前と松尾さんで上手くやってくれよ」
「ああ。やっておくよ。契約が終わったら、また緊急理事会を開くことになるな」
「そうだな。そのときは俺も行くからな」
「無理はしなくていいぞ」
「何でだよ~。俺も理事なんだぞー。何よりも優先して行くからなー」
「わかった。わかった。そのときは連絡するから」
「頼むぞー。待ってるからな~」
お礼の電話のつもりだったが、阿比留には、モヤモヤした思いがあった。辻村に対して、どうしても素直になれない。ここまでやってくれる辻村を、どうしても心から信用できない。それは、想像がつかないほどの行動力を持っている辻村を、自分が妬んでいるからなのか……。阿比留は自分でもわからなかった。
1週間後、松尾が東京へ行き、東京で合流した三島とともに、酒井社長と新たに契約を結び直し、国境リーグは最大の危機を乗り切ることができた。

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