『国境リーグ』Web版 vol.17

国境リーグ Web版
『国境リーグ』Web版 vol.17

48

国境リーグ開幕戦は海人の快投もあり、2時間ちょうど、高校野球のような試合時間であった。辻村が主導して開かれる開幕記念パーティーは、試合終了から3時間後の午後6時から厳原の隣、美津島町にある対馬グランドホテルで開かれる。
翌日、オープン戦を控えている中村と、翌日、野球部の練習がある三島翼は、飛行機の最終便で対馬を離れたが、海人、グニョン、三島豊は、辻村に言われた通り、午後6時少し前にパーティー会場へ足を運んだ。ただ、松尾だけは「後で行くから」と言って、海人らと一旦離れた。多くの出資者が来るパーティーに自分がいるべきではないと考えたからである。9月に福岡で開かれた出資者への説明会を脇から見ていたときに、出資者のひとりから向けられた冷たい視線が気になっていたからだ。それでも松尾はパーティーには行きたかった。行きたくて行きたくて仕方なかった。結局、午後6時にはパーティー会場の前まで来てしまっていた。
松尾がそっとパーティー会場を覗くと、理事長の三島が挨拶をしている。三島の側には辻村ら国境リーグの理事たちが並んでいた。橋本の姿も見える。今更ながら松尾は「あの場にいたかった……」と思うのであった。そのとき、松尾の携帯が鳴った。圭一郎である。松尾はパーティー会場の入り口から3mほど離れて電話に出た。
「圭一郎か?」
「はい。お父さん、今日は国境リーグの開幕戦でしたね。ネットニュースで見ましたが、上原投手はすごいピッチングだったようですね。お父さんの教え子なんですか?」
「おお、そうだ。気にしてくれてたのか? 嬉しいなー。今、開幕記念パーティーが開かれてるよ」
「お父さんにとって一番大切な日じゃないですか、今日は。僕のせいで今日、お父さんがその中心にいられなくなってしまって、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです」
「そんなこと……。仕方ないことだ。俺がいなくてもこうやって国境リーグは華々しく始まったんだから、俺はそれだけで嬉しいよ」
「本当に申し訳ありません……」
「だから気にするな。むしろ俺はこうやって、お前とつながりが持てて嬉しいくらいだ」
「お父さんにそう言ってもらえると嬉しいです」
「本当にそうだからな」
「はい。ありがとうございます……。ところで、今日、電話したのは、辻村さんについて新たに分かったことがあるからなんです」
「辻村についてか……」
「はい。去年、お父さんにお伝えしてからも、もう少し深く調べていたんです。辻村さんについて」
「深くなぁ……」
「はい。辻村さんの山猫ネットが韓国に法人を設立したのは2010年、平成22年ですが、その時の設立パーティーで撮られた写真を手に入れたんです」
「設立パーティーか……。で、その写真がどうかしたのか?」
「辻村さんと肩を組んで親しげに写真に写っている男性がいるんですが、その男性、7月に水死した慶尚グループのチェ社長なんです」
「何だって? それじゃ、辻村とチェ社長はずっと前から知り合いだったって言うのか?」
「そうです。知り合いというレベルの付き合いではないと思います。かなり親しかったと思います。パーティー以外で撮られた写真が何枚も出てきました。理由はわかりませんが、表面上は深い付き合いは隠されていますね」
「そうだったのか……。俺は……、俺たちは、国境リーグの緊急理事会で辻村が資金提供して土地の流出を阻止したときに初めてふたりは顔を合わせたのだと思って疑わなかった……。だとすれば、辻村は国境リーグ設立の話や、清水が丘の土地強奪について知っていたっていうことか?」
「はい。知っていたと思います。むしろ辻村さん主導でことが運ばれていたのかもしれません」
「何だって! それじゃ三島さんを使って話を持ちかけて、最終的に梯子を外して土地を奪おうっていう計画を辻村が主導したってことか?」
「いえ、三島さんを通じて話を持ちかけたり、土地を奪うことに関して、辻村さんはタッチしていないと思います。辻村さんと三島さんに面識はありませんでしたから。チェ社長が三島さんを利用することを思いつき、計画したことだと思います。土地を奪う計画に関しては、辻村さんは知っていたようですが、最終的に自分が対馬側の救世主となれば、強い立場で運営にたずさわれると考えたんじゃないでしょうか。なぜなら、辻村さんにとって国境リーグは、計画の第一段階ですから」
「第一段階?」
「そうです。辻村さんの最終目標は、対馬でIRをやることです」
「あー、説明会のとき出資者たちに見せたあれか……」
「最初にお父さんが熊本に来てくれたときに話してくれたことをヒントに、僕のネットワークを使って調べたんですが、辻村さんは本気で対馬でIRをやろうとしています」
「本気でねー……。カジノをかー……」
「国会議員や県議会議員と接触しています。IRには政治の力が不可欠なんで、辻村さんは……」
圭一郎が「辻村さんは」と言ったそのときだった。パーティー会場から複数の女性の悲鳴が聞こえてきた。
「キャァーー!」
「圭一郎、すまん。パーティー会場で何かあったようだ。一旦切らせてもらうぞ」
「わかりました」
電話を切った松尾がパーティー会場へ入ると、前方のステージ付近が騒然そうぜんとしていた。「救急車ーー、救急車を呼べ」という声が聞こえてくる。松尾が前方へ駆けつけると、海人とグニョンが近づいてきた。
「監督! 辻村さんが、辻村さんが刺されました」
海人が興奮しながら教えてくれた。
「何だって!」
松尾が人垣ひとがきを押し退けて前方へ歩を進めると、右脇腹に包丁が刺さった辻村が倒れてうなっていた。周囲には大量の血が流れている。その脇では、おそらく辻村を刺したであろうと思われる犯人が橋本をはじめとする数人に取り押さえられ、床に頭を押さえつけられていた。
「辻村さん! 辻村さん!」
海人の呼びかけに辻村は反応しない。意識が薄れているようだ。
押さえつけられている犯人は、おそらく韓国語であろう言葉で何かを叫んでいる。その人物を見たグニョンは、一瞬で顔色が変わった。グニョンの変化に海人がいち早く気付く。「どうした? グニョン」
海人の問いかけにグニョンが答える。
「私、この人知ってる……」
「知ってるって……。誰なんだ?」
「チェ社長の息子さん……。デシク(大植)さん……」
「そう……。私も知っています。チェ社長の長男、デシクさんです」
近くにいた三島も海人とグニョンの側にやってきた。チェ社長とつながりがあった三島も犯人を知っているようである。
「確かに激しい気性で感情的に行動する人だけど、包丁で人を刺すなんて……」
そう言いながら、グニョンは押さえつけられているチェ・デシクを見た。
「グニョン、奴は何て言ってるんだ?」
松尾がグニョンに聞いた。
「『俺は悪くない。こいつが悪魔だからだ』って……」
グニョンが松尾に答えたそのとき、ひとりの老人が会場の外から走ってきて、倒れている辻村に覆い被さった。
「チョルジン(哲鎮)! チョルジン!」
その老人はしばらくそう叫び続けていたが、急に立ち上がったかと思うと、脇で押さえつけられている辻村を刺した犯人の頭を思いっきり蹴った。さらに蹴り続けようとした老人を三島が止めに入る。そのときグニョンが気付いた。
「あなたは……」
初めは取り乱し、辻村に覆い被さっていたためわからなかったが、立ち上がったその老人をよく見たグニョンは、その老人に見覚えがあったのだ。
「退役軍人会のキムさんですね」
その老人はグニョンの問いかけを無視し、長身の三島に奪われている身動きの自由を取り戻そうと必死にもがいている。三島もさらに力をこめて老人を後ろから捕まえていた。「退役軍人会って……、一昨年、市役所の前で抗議行動をやってたあの人たちの中のひとりってことか?」
松尾が記憶を呼び起こしてグニョンに確認した。
「そうです。代表だった人です。私はあのとき通訳として、キムさんに同行していたのでよくわかります」
「何でその退役軍人が辻村さんを『チョルジン』って呼んでるんだ?」
海人がグニョンに疑問を投げかける。
「わからないわ……」
グニョンがそう言うと、松尾がその疑問に答えた。
「海人、グニョン、実はな、辻村はプサン出身なんだ」
「えっ、そうなんですか?」
海人は驚きの表情を見せたが、グニョンは黙っていた。
「辻村は、生まれて間もなく両親が離婚して、2歳のとき母親に連れられて福岡に来たそうなんだ。母親が福岡で対馬の人と知り合って結婚し、対馬で暮らすようになったらしい」
松尾が辻村の出生しゅっしょうの秘密を海人とグニョンに明かしたそのとき、5人の警官とストレッチャーを押した3人の救急隊員がパーティー会場に入ってきた。
救急隊員によってストレッチャーに乗せられた辻村は、すでに意識を失っていたが、酸素マスクを顔にかけられ救急車へ運ばれて行った。運ばれて行く辻村に「辻村さん!」と声をかけ続けていた海人だが、救急隊員に離れるよう促され、仕方なくストレッチャーを見送った。5人の警官のうちふたりは、押さえつけられていた辻村を刺した犯人を拘束し、パトカーに乗せて対馬南署へ連行した。あとの3人は、辻村が刺された状況を、その場にいた人たちに聞いていた。三島が体を押さえつけていたキムは、犯人の頭を蹴ったことを警官が周囲の人たちに確認すると、三島によって私人逮捕された容疑者として身柄が引き渡されることになった。辻村が刺された犯行を最も近くで見ていた三島は、対馬南署で詳しく話を聞かれることになり、パトカーに同乗して対馬南署へ向かった。
辻村が刺されたため、国境リーグ開幕記念パーティーは、当然ながら開始早々に中止となった。辻村が救急車で運ばれ、三島が警察署に向かった後、パーティ会場にいた大勢の人たちはその場を去り、車で来ていた松尾も海人、グニョンを連れて駐車場へと向かった。海人が、辻村が運ばれた対馬病院へ行くというので、グランドホテルから厳原とは逆方向に位置する対馬病院へ向かうことにした。駐車場へ向かう道中と車内で、松尾は辻村が刺されたときの状況を聞いた。
パーティーが始まり、三島が挨拶を行った後、辻村が乾杯の音頭をとるためにマイクを三島から渡された。辻村は、軽く挨拶をしたあと、後方にいた海人にも挨拶をさせようと、少し背伸びをしながら右手を挙げて手招きをし、「海人ーー、海人ーー」と海人を呼んだ。そのときだ。辻村から見て右側の最前列にいた人の真後ろに隠れていた犯人が、足元に置いていた紙袋から先端がとがった柳刃やなぎば包丁をサッと出して、一瞬のうちに辻村が手を挙げている右側の腹に突き刺したのだという。刺した後み合いながら倒れ、三島や橋本、最前列にいた人たちで犯人を取り押さえたが、そのときには辻村はかなりの出血だったという。海人は、自分が後方にいたことを後悔していた。
「俺が前にいれば……。犯人に犯行のすきを与えなかったのに……。前にいれば俺が止めることができたかもしれないのに……。辻村さん、ごめんなさい……」
対馬病院へ向かう車中、海人はそう繰り返した。松尾とグニョンが「そんなことない」と慰めるが、ふたりの言葉に対して、全く聞く耳を持たないという様子であった。

49

対馬病院に着くと、海人は走って病院横の時間外入口へ向かった。海人に続いて入口へ向かおうとするグニョンに、松尾は「電話してから行く」と伝え、グニョンを先に行かせると、運転席に座ったまま携帯を取り出し、着信履歴の一番上にある番号へ電話した。
「もしもし。圭一郎か?」
「はい。お父さん、何があったんですか?」
「辻村が刺されたんだ。パーティーの真っ最中に」
「そうだったんですか……。辻村さんもうらみを買うことは多いでしょうからね」
「それがな。多分だが、刺した犯人はチェ社長の長男のようだ」
「そうなんですか……。確か……、チェ・デシクという人でしたよね」
「知ってるのか?」
「はい。慶尚グループの後継者だった人です。今は別の会社が経営権を握って、グループ企業から追い出されていますが……。まだ20代後半ですが、激しい気性で、いろいろと問題を起こしてきたみたいです」
「そうか……。確かに歳はそれぐらいだったと思うな……」
「先程、言いかけていたことなんですが、辻村さんは本気でIRをやろうとしています。IRをやるとなると、観光客を対馬へ運ぶ交通網を今以上に整備しなければなりません。おそらく辻村さんは、プサン経由で世界中から観光客を対馬へ集めようと思っているんじゃないでしょうか。だから慶尚グループが欲しかったはずです。慶尚グループは路線を持っていますからね。手に入れることはできませんでしたが」
「なるほどな……。ところで、刺された辻村のことを『チョルジン』って呼びながら覆い被さってた老人がいたんだが、圭一郎、誰だか分かるか?」
「それだけの情報だと……ちょっと……」
「それもそうだな。プサンの退役軍人会の会長だそうだ」
「なるほど。それならば辻村さんの本当の父親ですよ。キム・ソンギという人です」
「やはりそうだったのか……。あの取り乱しようは普通じゃなかったからな」
「熊本でお会いしたときに、辻村さんの父親と母親は早くに亡くなったというお話はしましたが、対馬には辻村さんの父親のお墓しかないんです」
「そうなのか?」
「はい。うちの者にプサン経由で対馬入りさせて、調べさせました。お墓に母親の名は刻まれていません。プサンにお墓がありました。それは確認しました」
「そこまでしてくれたのか?」
「そこまでということはありませんよ。お父さんに頼まれて調べていることでしたが、調べていくうちに、うちの組にとってもメリットになりそうなことも出てきましたから、さらに深く探っていたんです。それについてはお父さんは聞かない方がいいです。迷惑がかかってしまう可能性がゼロではありませんから」
「そうか。わかった。聞かないことにしよう」
「僕の推測でお話ししますが、辻村さんは母親が亡くなったとき、プサンに遺骨を持って行ってお墓を作ったのだと思います。おそらくはそのときに、本当の父親であるキム・ソンギさんとも会ったんじゃないでしょうか」
「そうかもしれないな……」
「そしてこれも推測ですが……。退役軍人会の会長である父親のキム・ソンギさんを通じて、軍人出身の政治家であるパク前プサン市長と会い、さらにパク市長を介してチェ社長と懇意になったんじゃないでしょうか」
「なるほど……。そう考えるとつながってくるな」
「はい。初めはおそらく山猫ネットの韓国進出の手助けをしてもらうためだったんでしょう。その後、IRを対馬でと考えた辻村さんは、対馬とプサンを結ぶ航路をもっているチェ社長とさらに関係を深めていったのだと思います」
「そうだな……。チェ社長の長男が辻村を刺したってことは、辻村は裏切ったんだな」
「おそらく国境リーグが動き出したら、どこかの段階でチェ社長とパク市長を排除することも最初から辻村さんの計画にあったのだと思います。そして、国境リーグから排除するだけでなく、パク市長の政治生命を奪い、チェ社長を水死に見せかけて殺害したのも辻村さんではないかと僕は思います。直接手を下したのではないでしょうが……」
「となるとだ、阿比留もやっぱり辻村に嵌められたってことになるよな」
「はい。辻村さんは、高杉さんと一度は会っていますから、名刺を渡されたはずです。だとすれば、高杉さんが殺害されたとき、高杉さんと阿比留さんの両方をレベルファイブスタジアムの近くに呼び出すことはできるはずです。間違いなく辻村さんは、誰かに高杉さんを殺させて、その罪を阿比留さんに着せたのだと思います」
「きっとそうだな……。わかった。圭一郎、ありがとう。また、熊本に会いに行くからな」
「はい。また一杯やれる日を楽しみにしています」
「ああ。それじゃまたな」
そう言うと松尾は携帯を切り、ズボンのポケットに押し込んだ。そして車から出て病院へ向かって歩き出したとき、海人が病院横の時間外入口から飛び出してきた。涙を流している。松尾に気付いた海人は、力ない声で呟くように言った。
「ダメでした……」
「ダメって、お前……」
「さっき辻村さんは……、亡くなりました……」
「亡くなったのか……」
「俺のせいです」
「ばか! 何言ってるんだ。何度も言ってるだろ。お前のせいじゃない」
「俺が、俺が止めてあげられなかったから……」
「おい、グニョンはどうした?」
「まだ中にいます」
「何してるんだ?」
「橋本さんを探してました」
「橋本くんを?」
「はい。橋本さんに聞きたいことがあるって言ってました」
「橋本くんも来てるのか?」
「はい。辻村さんが亡くなったって病院の先生が伝えにきた後で姿が見えなくなりました」「そうか……。俺も橋本くんに聞きたいことがある。海人、お前は車に戻ってろ。ほら」
そう言って松尾は、海人に車のキーを渡そうとした。しかし海人はキーを受け取らなかった。
「俺、そこの海を見ながらひとりになりたいです……」
そう言うと海人は、海の方へ走っていった。時折、腕を顔にやっては、涙をぬぐっている。そんな様子を見て、松尾は思った。「海人にとって、今日は人生最良の日だったのに……。辻村の裏の顔を知らない海人にとって、今から橋本に聞くことは、とても受け入れられないだろう。時間が必要だ」と。

50

松尾が時間外入口から病院へ入ると、正面入口近くの受付前にある待合室の長椅子にグニョンと橋本がひとり分間を空けて座っていた。かすかな灯だけがともる夜の待合室である。松尾はグニョンに声をかけた。
「グニョン!」
「おじさん!」
松尾は、グニョンの反対側に腰を下ろし、グニョンと松尾が橋本を挟む格好になった。
「辻村のことは聞いたよ。海人はかなり動揺してるな。橋本くん、君も同じだろう」
「はい……」
橋本はほとんど聞こえないほどの声で呟くように言った。
「おじさん、私、橋本さんに聞きたいことがあるの。辻村さんが亡くなった今、橋本さんしかいないの。本当のことを教えて欲しい」
「何のことかな……。本当のことって……」
「ウソンのことよ」
「ウソンくんのこと?」
「そう。ウソンは本当に転落死なの? 辻村さんに突き落とされたんじゃないの?」
「何でそれを僕に聞くんだ?」
「ウソンは私に言ってたの。博多港で橋本さんと彼女が喧嘩しているところを見てしまったって」
「……なぜそれが……、辻村社長がウソンくんを突き落としたってことになるんだ?」
表面上は冷静さを装おうとしているが、橋本は明らかに動揺していた。そこへ松尾が割って入った。
「橋本くん、俺も君に聞きたいことがあるんだ。ひとつやふたつじゃない。辻村が亡くなってしまった今、本当のことを言えるのは君しかいないんじゃないのか?」
「何のことですか?」
「俺は知ってるんだ。橋本くん、君と辻村の関係を」
「関係って……。山猫ネットの社長と元社員ですけど……」
橋本が明らかに焦っているのが表情から見てとれる。
「そうじゃない。君が大学生、辻村がまだ山猫ネットを立ち上げる前の関係、もっと言えば、辻村と君のお父さんとの関係だよ」
「…………。」
松尾の言葉を聞いた橋本は、完全に黙ってしまった。薄暗い待合室でも橋本の表情が青ざめていくのがわかった。
1分ほど沈黙が続いた後、橋本が静かに口を開いた。
「わかりました……。お話しします」
橋本は観念かんねんした。グニョンは困惑している様子だが、すべてを松尾に任せると決めたようだ。
「ありがとう。まず君と辻村の出会いから聞かせてくれ」
松尾は高ぶる気持ちを抑え、冷静に話を促した。ここで焦ってはダメだと自分に言い聞かせるように。それが阿比留を救い出す唯一の方法かもしれないのだから。
「僕と辻村社長が初めて会ったのは、僕が大学3年のときです」
「会社をやってたんだよな」
「はい。FXの会社です。初めは順調だったんですが、ヤバい客に因縁いんねんをつけられて、どうしても1000万円を補填しなければならなくなったんです」
「ヤバい客っていうのはこっち系か?」
松尾は人指し指を頬にあててみせた。
「はい。補填できなかったら臓器を売るか、東京湾に沈められるか、どっちか選べって言われました」
「なるほど……」
「額が額なんでもうどうしようもなくて、実家のお袋に頼んでみたんですが、そんなお金があるわけなくて、困り果ててたときに父から電話があったんです。父とは、小学生のとき以来会ってなかったんですが、父はお袋から相談されたようでした。父は、僕にこう言ったんです。『大輔、俺はもう長くない。お前に父親らしいことは何ひとつできなかった。だが、最後にお前のためにできることがあったんだ。いいか、大輔、俺が死んだら、辻村久志っていう奴のところへ行け』って。そして辻村さんの連絡先を教えてくれたんです。その3日後でした。父が交通事故で亡くなったってお袋から連絡があったのは」
「それで辻村のところへ行ったわけだ」
「はい。そしたら辻村さんの奥さんも交通事故で亡くなっていて、辻村さんは『3週間後にまた来てくれ』と僕に言いました。それで3週間後にもう1度辻村さんのところへ行ったら、現金で1000万円を渡されたんです。『君は何も聞かなくていいから、これを持っていけ』と。もう藁にもすがる状態でしたから、そのお金をもらって会社を清算せいさんしました」
「その後、辻村とはいつ再会したんだ?」
「大学を卒業して、数年が経ってからでした。どうやって番号を調べたのかわかりませんが、辻村さんから電話があったんです。『うちの会社に来い』って。『来てくれ』ではなく『来い』でした」
「辻村にしてみれば、秘密を知ってるであろう君が怖かったんじゃないのかな……」
「はい。そうだと思います。別の交通事故を装った保険金詐欺事件が話題になっていたんで、近くにおいておくべきと思ったんでしょう。父の交通事故の相手が辻村さんの奥さんだってことはすぐにわかりましたし、僕が渡されたお金は、奥さんの保険金から出ていることも想像がつきましたから。それに僕の父と辻村さんが大学時代に親しくしてたこともお袋から聞いて知っていましたから、あの事故は保険金目当ての殺人だと僕なりに理解してました」
「君は断ることもできたんじゃないのか? 山猫ネットに入ることを」
「いや、できませんでした。辻村社長も秘密を知ってる僕を恐れていたのかもしれませんが、僕もあのときは辻村社長が怖かったんです。断ったらきっと殺されると思っていました。正直、山猫ネットで働くようになっても、いつか殺されるかもしれないっていう恐怖がしばらくつきまとっていました。ですが、辻村社長は、父との約束を守って僕にお金を渡してくれたという事実があります。父は亡くなっているわけですから、必ずしも約束を守る必要はなかったんですが、それでも辻村社長は僕にお金を渡してくれたんです。いつか殺されるかもしれないという恐怖とともに、辻村社長は信頼できるというおかしな感覚が当時の僕にはあったんです。でも、山猫ネットで仕事をしていくうちに、辻村社長の仕事ぶりにきつけられていく自分がいました。とにかく先を読む能力がすごすぎて……。自分がそうなれないことはわかっているんですが、少しでも近づきたいと思って今日まで辻村社長の言われるままについてきました」
「阿比留の秘書になることも辻村の指示だったんだよな」
「はい、そうです。市長には、会社に残るか、秘書になるか選ぶ権利を自分が持っていたように話しましたが、実際は強く命令されました」
「やはり命令だったのか……」
「阿比留市長が嫌っていることを辻村社長は自分でわかっていましたから、僕を通してでも市長の役に立つことができれば、市長の気持ちを引きつけられるんじゃないかっていうことで、僕が送り込まれたわけです」
「でもなかなかそうはならなかったみたいだな……。啓は言ってたぞ。『辻村が自分に何かしてくれると、餌をまかれているみたいだ』って」
「そうですね。市長は僕にもそう言っていました。実際、僕の役割は市長の信頼を得た上で、市長の動きを社長に報告することでしたから。簡単に言うと、僕は社長のスパイです」
「スパイね~」
「はい。市長には、辻村社長とはずっと会っていないと伝えてましたが、実際は、ほぼ毎日連絡を取り合って、月に1度は休日に福岡へ渡って、社長に会っていました」
「辻村とチェ社長はいつから知り合いだったんだ?」
「もうご存じなんですね……。2009年からです。山猫ネットの韓国法人を設立するために力を借りました。社長がプサン出身ということもご存じなんですよね?」
「ああ、知ってるよ」
「そうですか。社長の本当の父親であるキム・ソンギさんを通じて、社長はパク市長を紹介してもらい、パク市長からチェ社長を紹介してもらいました。キム・ソンギさんは退役軍人会で強い権力を持っていますから、パク市長は言うことを聞くしかなかったんだと思います。それでも社長とチェ社長は意気投合しました。互いに野心家で、やりたいことが次から次へと出てくる人たちです。夢を語り合うようになりました。ただ、韓国では、日本の企業に協力すると、必ずマイナス面が出てきます。だから表だってチェ社長が山猫ネットに協力することはありませんでした。でも韓国での人脈作りにチェ社長が果たした役割は小さくありません」
「なるほどな……。それで、国境リーグの話はどっちから出てきたんだ?」
「辻村社長です」
「えっ、そうなの?」
黙って聞いていたグニョンが驚きのあまり口を挟んだ。
「やっぱりな……。そうなんだグニョン。最初に国境リーグを考えたのは辻村だったんだよ。俺もさっき聞いたんだが……。目的は何だったんだ?」
「カジノです」
「やっぱりそうか……」
「日本でもカジノを含むIRが話題になり始めると、社長は『これ以上ないビジネスチャンスがやってくるぞ!』って、目の色を変えていました。社長が考えたその候補地のひとつが対馬の浅茅湾でした」
「あの説明会のときの映像だな?」
「そうです。あの映像は、実は4年前に作っておいたものに球場の部分を加えたものなんです。社長は山猫ネットの社員に作らせたって言ってましたけど……」
「そうだったのか……。それで、具体的にはどうやって国境リーグの話が出てきたんだ?」
「はい。チェ社長が清水が丘の土地を欲しがっているってことを辻村社長が聞きつけたことがきっかけです。チェ社長は、清水が丘にホテルを建てたがっていました。韓国人観光客を集めるには、これ以上ない立地ですから」
「確かに万松院が隣にあって、意味がある土地だからな……」
「辻村社長は、公共の土地である清水が丘を手に入れるには、市が土地を手放さざるを得ない状況を作る必要があると、チェ社長に入れ知恵をしました。そして、その方法として野球の独立リーグを作り、その試合を行う球場建設のためなら、市も清水が丘の土地を手放す可能性があると吹き込んだんです」
「そんなことよく考えつくもんだなー」
松尾が首をひねりながら言うと、橋本はすぐにその答えを口にした。
「上原くんです」
「海人?」
海人の名前が出てきて、またグニョンが口を開いた。
「そう。上原くんがきっかけなんだ。辻村社長は、もともと野球には全く興味がなかったんだけど、自分の母校である対馬高校で上原くんが活躍し、テレビや新聞で取り上げられるようになったときから、密かに彼を応援していたんだ。そして彼がプロになると、誰よりも早く後援会を作って、直接、上原くんを応援するようになった。直接会って話をするようになると、彼の真っ直ぐな性格をすごく気に入って、『海人のためなら何でもしてあげたくなっちゃうな~』って、よく言ってたよ」
「それがどうして独立リーグってなるんだ?」
松尾がもっともな疑問を口にした。
「辻村社長は、プロに入ってもなかなか結果が出せない上原くんを気にしていたんです。何かきっかけがあれば、彼は変われるとも言っていました。だから、上原くんが戦力外通告を受けて、プロ野球の世界にいられなくなったときの受け皿として独立リーグがあれば、彼が再出発できるんじゃないかと思ったんです」
「おい待てよ。それだと、さっきの話と矛盾するんじゃないか? だって辻村の目的はカジノだったんだろ? チェ社長に協力してカジノをやるために、清水が丘の土地を手に入れる方法を入れ知恵したんじゃないのか?」
「独立リーグの話をチェ社長にしたときはそうでした。ですが上原くんが戦力外通告を受けて、トライアウトでも拾ってもらえないことがわかったとき、辻村社長は完全に考えを変えたんです。仮にそのまま清水が丘の土地をチェ社長が手に入れて、ホテルを建てるようになったとしても、辻村社長は、いずれチェ社長を失脚させてホテルごと土地を取り戻すつもりでいました」
「そうだったのか……。それじゃあ、海人のために国境リーグ開幕の方向へ舵を切ったってわけだ」
「もちろんその先にはカジノがありますが……」
「ねぇ、ちょっと待って」
またグニョンが口を開いた。
「チェ社長の陰謀で土地が狙われているのは、私が偶然、社長室の前で聞いたのよ」
「あれは偶然じゃないんだよ」
「何ですって!」
驚いたグニョンは夜の病院にふさわしくない大きな声を出してしまった。
「あれはプサンで録音されたものなんだよ」
「録音だったの?」
「そう。グニョンさんがそれを聞く3日前に、プサンの慶尚ホテルでのチェ社長とパク市長の会話だったんだよ。それを、僕と同じように慶尚ホテルに派遣されている辻村社長のスパイが録音、編集したものなんだ。その録音を社長室に密かに置いておいたスピーカーから流してグニョンさんに聞かせたものだよ。部屋の外からグニョンさんの行動を見張っておいて、グニョンさんが社長室の前に来たときを見計らってブルートゥースで飛ばして聞かせたものなんだよ」
「……そうだったの……」
グニョンは声を失った。
「それでもグニョンが社長室の前に行かなかったり、そもそもそんな会話が上手く録音出来なかったらどうしたんだ?」
松尾が聞いた。
「辻村社長は、常にいくつかの手段を考える人です。グニョンさんに録音の音声を聞かせることができれば、グニョンさんから話を聞いた上原くんが辻村社長を頼ってくることは間違いなかったので、この方法がベストだったんですが、上手くいかなかったら匿名の告発文書を事務局に送る予定でした。韓国の慶尚ホテルに送り込んだスパイから。ただ、告発文書を送る方法だと、阿比留市長に毛嫌いされている辻村さんが救世主になることは難しいので、辻村さんが救世主になるには、グニョンさんを利用するしかなかったんです。タイミング的にはギリギリでした」
自分が利用されていたと知ったグニョンは混乱していたが、もうひとつ、自分が関わりをもったできごとがあったことを思い出した。
「もしかして、退役軍人たちの抗議行動も辻村さんが仕組んだの?」
「その通り。あれは全部辻村さんが考えて、キム・ソンギさんにやらせたことだよ」
「何でそんなことをしたの?」
グニョンが聞いたが、松尾も同調する。
「そうだよな……。何か意味があったのか?」
「結果的に空振りだったんですが、阿比留市長にわずらわしい退役軍人たちを追っ払ったっていうことをアピールして、阿比留市長の信頼を得たかったんです」
「信頼ね~。啓はその程度じゃ辻村に心を開くことはないな」
「全くそうでした。完全に失敗です。社長でもそういうことはあります」
ずっと険しい表情で話していた橋本がかすかに笑みを浮かべた。松尾が話題を変える。
「酒井社長が再び50億の出資を約束してくれたのも辻村が手を回してたのか?」
「そうです。実は緊急理事会の前に話は出来てました。辻村さんは、酒井社長と会って、『将来、必ずIRとパチンコが連携してビッグビジネスになる』と説明して、プサン側からこちらへ寝返るよう説得したんです。阿比留市長には、直営店が産む多大な利益を説得理由にしたと話しましたが、直営店の利益だけでは、50億も出させるのは難しかったと思います。もちろん、酒井社長にも『IRのことは時期が来るまで絶対に口外こうがいしない』と約束させました。辻村さんが阿比留市長に電話したとき、その前日に酒井社長と会って話したって言ったんですが、実際は前日に東京へは行っていません。緊急理事会の3日前に東京へ行って話をつけていたんです」
「そうだったのか……。啓も俺も見事に騙されてたな……。結果的にはあれで国境リーグは救われたんだが……」
国境リーグ理事長として、酒井社長のところへ再契約に出向いていた松尾は、改めて自分が辻村に動かされていたんだと再認識した。

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