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7月27日、阿比留はイライラしていた。原因ははっきりしている。前日の夕方かかってきた1本の電話である。
宮村つばめによる宣伝効果はバツグンで、国境リーグのグッズ売り上げは、リーグ開幕前にして2億円を超えていた。販売を請け負っているのは山猫ネットである。試合の中継は、当初、プライムがインターネットを使って独占的に行う予定であったが、緊急理事会でプライムと山猫ネットが共同で行うことが了承された。辻村が、山猫ネットもチャンネルを持っている衛星放送に働きかけ、国境リーグの試合は、衛星放送でも中継することが決まったからである。日本、韓国、双方の山猫ネットの会員は、インターネットによる試合中継を無料で観ることができるようになった。国境リーグへの出資者についても辻村が各方面に働きかけ、当初の計画で必要とされた金額の5分の4までは目処がついていた。もはや国境リーグは、山猫ネットが運営していると言っても過言ではない。阿比留はそれが不安で仕方なかった。
前日、先頃行われた選挙で新しいプサン市長となったキム・ジャヨン(金子英)と国境リーグについて会談するために、急用で外せない用があった松尾の同行はかなわなかったものの、グニョン、橋本とともにプサンへ渡り、新市長の協力的な態度と言葉に安堵して市役所へ戻ってきた直後であった。本格的な暑さがやって来て、夕方でも30度近い気温がある市長室は、エアコンをつけてもすぐに涼しくはならない。汗が吹き出してくる。タオルハンカチで汗をぬぐったときに内線が鳴った。
「はい」
阿比留が出ると橋本が外線の相手を告げる。
「市長、週刊『SHINSO』の高杉という記者から、市長に確認したいことがあるとお電話です」
「週刊『SHINSO』? 何の確認だろう? とりあえず出てみるよ」
阿比留は外線ボタンを押した。
「はい。対馬市長の阿比留です」
「阿比留市長、初めてお電話させてもらいます。週刊『SHINSO』の高杉という者です。市長にお聞きしたいことがありまして、明日、そちらに伺いますんで、少しお時間いただけないでしょうか?」
腰の低い話し方ではあるが、阿比留は嫌な予感しかしなかった。できれば取材など断りたいが、断れば断ったで余計なことを書かれてしまいそうだ。腹を決めるしかなかった。
「長い時間は無理ですが、1時間くらいなら大丈夫です。できれば執務が終わった後にしてもらいたいですね」
「わかりました。それでは明日、夕方6時に伺います。よろしくお願いします」
そういうと高杉は電話を切った。この電話でのやり取り以来、阿比留のイライラはつのるばかりである。何も後ろ暗いことはない。それははっきりしている。だが、自分と辻村が高校の同級生であり、国境リーグに山猫ネットが大きく関わっているという事実はどうしようもない。癒着をどうこう言われても仕方ない状況であることは確かだ。
高杉は予定の10分前にやって来た。橋本に導かれて市長室に入ってきた高杉は、ジーンズにポロシャツ、麻のジャケットを身につけている。一眼レフのカメラとショルダーバッグを肩からかけていた。
阿比留と高杉は名刺を交換し、「対馬は暑いですね」「海に囲まれているんで本土よりは暑くないんです」など、阿比留が島外の初対面の相手と交わす定番のやりとりをした後、応接セットのソファに腰を下ろした。そしていきなり本題に入るのを阻止するように阿比留が口を開いた。高杉がどういう人間なのか、探りたかったのだ。
「高杉さんは、対馬へは初めてですか?」
「はい。初めてです」
「どうですか? 取材でいろいろなところへ行かれてると思いますが、いいところでしょう。対馬は」
「はい。いいところですね。昨日の午前中に飛行機で来たんですが、3時間ほど時間があったんで、レンタカーを借りて、和多都美神社と海神神社へ行ってみました」
「そうですか。韓国人の観光客が多かったんじゃないですか?」
「はい。海神神社は私1人だったんですが、和多都美神社には観光バスが2台停まっていて、40人くらいの韓国人と思われる観光客がいらしてました。それを見て『これが対馬なんだー』と実感しました」
「そうなんです。対馬は韓国人観光客に支えられていると言われても仕方ないのが現状ですから……」
「でも和多都美神社も海神神社もすごく素敵な場所でした。特に和多都美神社は波静かな海に建つ鳥居が神秘的でしたね」
「満潮のときだったんですね。どうですか? おたくの雑誌で対馬を紹介してもらえませんか?」
「そうです……ね。うちの雑誌はちょっと毛色が違うんで難しいと思いますが、別の雑誌に今度企画を持ち込んでみますよ」
「そうですか。是非お願いします!」
やはり阿比留は対馬市長である。高杉の言葉に笑みを浮かべた。これから高杉から追及される阿比留にとってわずらわしい問題のことを一瞬忘れて。
「その際はまた協力をお願いします」
「もちろん。事前にご連絡いただければいろいろとこちらで手配させていただきますよ」
「ありがとうございます。企画が通ったら、連絡させていただきます。市長、そろそろ本題に入ってもよろしいでしょうか?」
「あ~、はい。どうぞ」
阿比留は身構えたが、高杉が阿比留の苦手なタイプでないことは確認できて、少し安心していた。
「それでは本題に入らせていただきます。今日は、市長にお聞きしたいことがふたつあって伺いました」
「ふたつですか……」
ふたつという言葉に阿比留は再び身構えた。しかしすぐに、動揺を見せてはいけないと自分に言い聞かせる。
「はい。何でしょう?」
「最初にお聞きしたいのは、ごみ焼却施設建設の入札についてです」
「えっ、ごみ……焼却施設……ですか? あ~、小茂田に建設予定のごみ焼却施設ね」
阿比留は拍子抜けした。
「そうです。小茂田地区に作られる予定のごみ焼却施設です。その落札者は福岡の建設業者ですが、その業者の役員に市長の奥様の叔父にあたる方がいらっしゃいますね」
「はい。確かに家内の叔父がいる会社が落札しました。しかし、その入札に一切不正はありませんよ。正式な手続きを踏んで落札者は決定されてますし、当然ですが、落札者の評価に私は一切関わっていません。市の資料に目を通していただければ一目瞭然です」
阿比留は早口になった。冷静を装おうとしていたが、不正を疑われるような質問をされて、少し興奮してしまった。確かにごみ焼却施設の落札者が決定した際、妻の叔父が役員を務める会社に決まって、阿比留が「面倒くさいなぁ」と思ったことは確かである。1度だけ議会で質問されたこともある。だがこの件に関して一切不正はないと断言できる。
「そうですか。資料は拝見したんですが、ある筋から聞いた情報では、その会社にだけ、他社の落札価格等が漏れていたという話がありまして」
「誰がそんなこと言ったんですか?」
阿比留は語気を強めた。
「もちろん情報源についてはお話しできません」
「そんな……」
少し間をおいて高杉が口を開いた。
「わかりました。市長はこの件に関して一切、不正はないというお立場ですね」
「立場って……。もちろんです。不正はありません!」
「わかりました。私の方で調べてみます。記事にするかどうかは今後の調査次第ですが、記事にする際は事前に市長に連絡させていただきます」
「あんたね、簡単に言うけど、捏造はするなよ! もし不正があったなんて書かれたら、私の政治生命はそこで終わってしまうんだからな! こっちがどんなに説明しても、ペンの力には到底かなわない。すべてが言い訳に聞こえてしまう。間違いなく終わってしまうんだよ!」
興奮した阿比留は、高杉を「あんた」と言ってしまった。最初の数分間で抱いた高杉に対する良い印象はもはや無くなっていた。
「もちろん捏造なんてしません。うちもリスクがあることはしませんから」
興奮する阿比留をよそに、高杉は冷静に次の話題へ移ろうとする。
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「それではこの件はこれくらいにして、もうひとつの方ですが……」
阿比留はまた身構えた。が、高杉が次に発した名前は、阿比留をまたも拍子抜けさせる。
「松尾さんですが……」
阿比留は頭の中の「はぁ?」という思いが、思わず口から出そうになったが、ギリギリのところで我慢した。
「松尾って……。理事長の松尾ですか?」
「そうです。国境リーグ理事長の松尾俊治さんです」
自分と辻村のことを聞かれると思っていた阿比留は、「松尾」という名前を聞いて、正直なところ安心した。
「松尾は、私が子供のころから兄のように慕っている人物ですが、松尾がどうかしましたか?」
「阿比留さんは、松尾さんにお子さんがいらっしゃるのをご存じですか?」
「はぁ?」
さすがに今度は口から出てしまった。
「松尾に子供はいませんよ。ずっと奥さんとふたり暮らしですよ。何なら今、松尾をここへ呼びましょうか? すぐ近くのティアラにある事務局にまだいるはずですから」
「お聞きになっていないんですね。松尾さんは今、熊本に行っておられます」
「熊本……? 何しに行ってるんですか?」
阿比留は混乱していた。自分と辻村のことを聞かれると身構えていたら、高杉の口から出たのは、自分が一番信頼している松尾の名前。しかも松尾に子供がいるという、阿比留にしたら訳がわからないことを高杉は言っているのだ。高杉は冷静に話を続ける。
「息子さんを訪ねていらっしゃいます。確認するために」
「確認って……。何を確認するんですか?」
「息子さんが、今、何を生業にしているかです」
阿比留は、混乱している自分の頭の中を整理するには、高杉に最初から説明してもらうしかないと思った。
「わ、わかりました……。と、とにかく松尾に子供がいるなんていうことは、私は一切知りません。最初から説明してください。できれば松尾本人から聞きたかったですけど……」
頷いた高杉は説明を始める。
「阿比留さんはご存じなかったようですが、松尾さんに息子さんがいらっしゃるのは事実です。緒方圭一郎という36歳の男性です」
「隠し子ということですか?」
「隠し子ではありません。ある時期まで、松尾さんご自身も息子さんがいらっしゃることをご存じなかったわけですから」
「知らなかった?」
「はい。松尾さんは、高校卒業後、熊本の電電九州でノンプロの選手として活躍されていました」
「そうです。怪我さえなかったらプロになれてたはずです」
「電電九州の硬式野球部時代にマネージャーだった緒方明美さんという女性とお付き合いをされていたんですが、松尾さんが怪我で野球を諦めて対馬に帰ったときに別れています」
「聞いたことはありますが、詳しくは知りません」
阿比留にもだんだんと話が見えてきた。
「ところが、松尾さんが対馬に帰った後、緒方さんは妊娠していたことがわかったんです。緒方さんは悩んだんですが、産むことを決意され、男の子を出産されました。その子が圭一郎さんです。緒方明美さんは、自分が松尾さんの子供を妊娠したことも、圭一郎さんを産んだことも、一切松尾さんに知らせませんでした」
「それでは、松尾は自分に子供がいることは知らなかったわけですね。さっき高杉さんは『ある時期まで』とおっしゃいましたが」
「そうです。松尾さんは知りませんでした。圭一郎さんを産んだ後、緒方明美さんは、勤めていた電電公社を辞めて、市内の下通にあるスナックで働き始めました。当然ですが、明美さんのご両親は産むことに反対でしたから、明美さんは親の援助を受けることなく圭一郎さんを育てるために夜の仕事を選んだのでしょう。そして、圭一郎さんが10歳になったとき明美さんは、同じ下通に自分の店を持ちました。ホットコーナーというお店だったようです。3塁手だった松尾さんへの想いが感じられますね」
「ホットコーナーですか……。確かに3塁をホットコーナーっていいますからね。明美さんは密かに松尾を想い続けていたんですね」
「その後、明美さんは、ホットコーナーの常連客だった方と37歳のときに結婚しました。圭一郎さんは中学生でした。圭一郎さんにとっては初めての父親ですね。中学生という難しい時期でしたが、圭一郎さんと父親になった方との関係は良好で、明美さんはスナックを続けながら3人で幸せに暮らしたそうです。ところが、圭一郎さんが20歳のとき、明美さんは長年の水商売がたたったのか体を壊してしまいます。肝臓を悪くして余命宣告を受けました。明美さんは自分の命がもうすぐ終わってしまうというとき、圭一郎さんに『あなたの父親は対馬で暮らしている松尾俊治という人よ』と、松尾さんのことを話します。そして明美さんが43歳という若さで亡くなった後、圭一郎さんは対馬を訪れ、初めて本当の父親である松尾さんに会いました。そのとき初めて松尾さんは、自分と明美さんの間に子供が生まれていたことを知ったのです。まさに青天の霹靂、松尾さんが受けた衝撃は計り知れません。圭一郎さんと松尾さんは、松尾さんの職場で会ったので、松尾さんの奥さんに圭一郎さんのことが知られることはありませんでした。以来、松尾さんは奥様にも圭一郎さんのことはお話しされていません。阿比留さんにだけは話されているかもしれないと思ったんですが、阿比留さんもご存じなかったんですね」
「全く知りませんでした。私にとっても晴天の霹靂ですよ」
「松尾さんが圭一郎さんに会ったのは1度だけ。その後は一切連絡も取っていなかったようです。松尾さんは、1度だけノンプロ時代の仲間に誘われて熊本に行ったとき、明美さんのお墓参りに行かれたそうです。明美さんのご両親がまだ健在だったときで、お墓の場所などはそちらからお聞きになったそうです。圭一郎さんが会いにきたときに撮った1枚の写真を、奥様に見つからないよう密かに大事にしていると松尾さんはおっしゃってました」
阿比留は高杉の話を聞いて、松尾にこんな秘密があったのかと心底驚いた。しかし、よくよく考えてみると、「松尾に子供がいることが週刊誌のネタになるのか?」と思う。松尾は国境リーグの理事長ではあるが、一般人である。
「高杉さん、お話はだいたいわかりました。松尾に子供がいたということですね。しかし、こんなこと言っちゃ何ですが……、そのことがおたくのような一流週刊誌が記事にするほどのことでしょうか?」
「問題はそのことではありません。先程、私は、今、松尾さんが、圭一郎さんが何を生業にしているのか確認しに熊本へ行っていると申し上げました」
「そ、そうでしたね」
阿比留は、なんだか爆弾が暴発しそうな予感がしてきた。
「問題は、明美さんが結婚したときまで遡ります」
「結婚相手に何か問題でも?」
「そうなんです。明美さんが結婚された常連客というのが大問題なんです。指定暴力団、極川会会長、川北宗司氏だったんです」
「指定暴力団……。なんでそんな……」
「川北氏は5年前に亡くなったんですが、その後、川北氏の前妻の子と圭一郎さんをかつぎあげる側で跡目争いが起こり、結果、圭一郎さんが極川会を3代目として継ぎました。今では圭一郎さんは立派な反社会的勢力、極川会のトップに君臨しています」
「松尾は今、そのことを確認するために熊本へ行っていると……」
阿比留の中で何かが大きく崩れた。
「松尾さんと緒方圭一郎氏は、戸籍上は他人です。しかし、血のつながった父と子であることは事実です。反社会的勢力のトップと血のつながった父親が国境リーグの理事長にふさわしいか? おそらく世間一般には『ノー』でしょう。松尾さんの積み上げてこられた実績や人柄とは関係ありません。野球賭博の疑いをかけられかねません」
高杉は、阿比留に正論をつきつけた。阿比留は言葉を返すことができない。
「……」
「松尾さんご自身は、私がお伝えするまで緒方圭一郎氏が反社会的勢力のトップにいることをご存じなかったので、国境リーグ設立時に松尾さんが理事長へ就任されたことは問題なかったと思いますが、今後は違います。松尾さんと阿比留さんがどういう判断を下されるかわかりませんが、うちはその判断を見て記事にさせていただくつもりです」
阿比留の頭の中で、さまざまなことが駆けめぐった。「トシ兄は今どんな気持ちなんだろう……」「トシ兄には理事長を辞めてもらうしかない……」「それじゃ誰を新しい理事長にするのか?」「三島さんか?」「三島さんは俺たちを欺いていた人だ……」「それじゃ誰だ?」「辻村か?」「いやいやそれはダメだ」「辻村を理事長にしてしまったら、辻村の国境リーグになってしまう……」「そもそもこのまま国境リーグを続けていけるのか?」「出資者は手を引くんじゃないか?」「もう終わりなのか?」
高杉が出て行き、ひとり市長室に残った阿比留は、応接セットのソファに浅く座り、がっくりと肩を落とした。そしてソファに深く座り直して、ボーっと見つめる天井に、松尾の悲しそうな顔が浮かんできた。
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阿比留は5分ほど市長室の天井をボーっと見つめていた。ふと時計を見ると午後7時少し前だ。時計を見たことで、突きつけられた現実に対して、少し冷静になれた気がした。「そうだ。とにかくトシ兄に電話しなければ何も始まらない。何かの間違いだった可能性はゼロではない……」。そう考えた阿比留は携帯を手に取り、履歴から松尾の番号を押した。
「先輩? 俺です」
「あ~、啓か……」
松尾の力ない声を聞いた阿比留は、すべてを悟った。
「先輩、今どこですか?」
「熊本駅だ。これから博多に戻って、夜中のフェリーで対馬に帰るよ。お前のとこにも記者が来たんだな?」
「はい。さっき帰りました」
「啓、本当に申し訳ない……。帰ってから詳しく話すが、俺はもう国境リーグに関わることはできない。ごめん……」
松尾は泣いているようだ。
「先輩、これからのことは明日考えましょう。気をつけて帰ってきてください」
「ああ、ありがとう。明日、午前中に行くよ」
「わかりました。待ってます」
電話を切った阿比留は、三島や辻村ら、国境リーグの対馬側の理事たちに電話をかけ、松尾が理事長を辞任しなければならなくなったことを伝えた。韓国側の3人の理事には、辻村から伝えてもらうよう頼んだ。国境リーグ開幕まであと8か月しかない。そんな中で要となって引っ張っていく存在であった松尾が国境リーグから離れなければならない。その厳しい現実を、電話をかけて自ら口にしたことで、阿比留はようやく受け入れることができた。
翌日、朝9時40分に松尾が市長室へやってきた。疲れた様子の松尾を見て、阿比留が声をかける。
「先輩、船の中で寝れましたか?」
「ダメだ。寝れない。やっぱりいろいろ考えてしまうな……。少し寒かったが、デッキに出て、ずっと夜の海を眺めてたよ」
「風邪引いたりしてませんか?」
阿比留に促されて、松尾はソファに座った。阿比留も反対側に座る。
「あ~大丈夫だ……。啓、本当にすまない。俺に子供がいることは、かみさんの幸子にも話せないでいたんだ。俺たち夫婦には子供ができなかったから、熊本に俺の子供がいたことはどうしても話せなかった……。あいつを気遣ったつもりでいたんだが、結果的にあいつを深く傷つけてしまったよ。今、あいつは大きなショックを受けてる。グニョンが慰めに行ってくれてるが、俺自身はあいつにかけてやる言葉が見つからない。ただただ謝るだけだ」
「確かに幸子さんにとってはショックだったでしょうね。俺でさえショックというか……、かなりびっくりしましたから……。それで、熊本で息子さんにお会いになったんですか?」
「ああ、会ったよ。最初は、これが16年前に俺を訪ねてきてくれた圭一郎と同じ人間なのかと、わが目を疑ったくらいだ。恰幅が良くて、髭面でな。ダブルのスーツがよく似合って、いかにも組のトップっていう感じだったよ。それでも、見た目は変わってしまってたんだが、話をしていくうちにだんだんと中身は変わっていないことが分かってきたよ」
「そうなんですか……」
阿比留は、松尾が父親の顔になっていると感じた。
「圭一郎は中学生のときに母親の結婚で極川会の会長の息子になったわけだが、川北宗司さんはあいつを本当の息子のように可愛がってくれたようだ。あいつも宗司さんのことを父親として慕ってた。宗司さんのことを『オヤジ』と言ってたよ」
「記者が言ってたんですが、前妻との間にも息子さんがいるとか……」
「そうなんだ。息子さんがひとりと娘さんもひとりいるらしい。交流はなかったから圭一郎もふたりにはほとんど会ったことがないそうだ」
「そうなんですか」
「ああ。前妻の子についてはわからないが、宗司さんは、圭一郎を堅気の人間にしたかったみたいだ。だから口うるさく『勉強しろ!』って言ってたようだ。その甲斐あって、あいつは進学校の済々黌から、東京の一橋大学に進んだそうだ」
「一橋ですか。うちの橋本と一緒ですね」
「橋本くんも一橋なのか?」
「そうです。一橋です」
「あいつが俺に会いに対馬へ来たときは大学生だったが、あのときは東京で大学に通っているとしか言わなかったんだ。俺が知らないような無名の大学だと思ってたんだが、一橋だったんだな。俺は勉強嫌いだったから、あいつは俺には似なかったってことだな」
「先輩は野球一筋だったですからね……。会いに来たときには、義理の父親のことは話さなかったんですか?」
「ああ、詳しいことは何も話さなかった。ただ、『義父が自分を東京の大学に通わせてくれてます』とだけ言ってたんだ」
「なるほど……。それで圭一郎さんは大学を出た後は何をされていたんですか?」
「熊本に戻ったそうだ。ひとり暮らしをしながら、証券会社に勤めていたらしい。宗司さんが組とは関わりをもたせないようにと、明美の両親と養子縁組をして緒方姓に戻ったそうだ。それからは普通に証券会社に務める会社員だった。5年前までは……」
「会長さんが5年前に亡くなったと聞きました」
「そうなんだ。5年前に宗司さんが亡くなったんだが、そのときに跡目争いが起こったんだ。組のナンバースリーだった人物が、ナンバーツーだった人物を排除して、前妻の息子に組を継がせようとしたらしい。前妻の息子もそれまでは組に関わっていなかったそうだ。それに気づいたナンバーツーの人物が、今度は圭一郎を担ぎだして、対抗しようと動き出し、さぁどっちが組を継ぐかとなったんだが、前妻の息子は、もともと長く宗司さんと暮らしていなかったから、宗司さんへの思い入れもなかったんだろう。あっさり身を引くと言い出して、結局、ナンバースリーだった人物は組を出て行き、圭一郎が極川会の3代目となったわけだ。圭一郎にとっては大変な決断だったわけだが、『オヤジのように大きな人間になりたいと思ってます』と言ってたよ。それとな……、圭一郎は宗司さんのことは『オヤジ』と呼ぶんだが、俺のことを『お父さん』って呼んでくれるんだよ。幸子には申し訳ないが、俺はそれが嬉しくてな……」
「そうなんですか。それは嬉しいでしょうね……。幸子さんの気持ちを考えれば複雑ではありますが……。先輩、それで圭一郎さんは、具体的にどんなことを生業にしてるっておっしゃってたんですか?」
「それについては、話してくれなかった。俺がそれを知ることで、俺にさらなる迷惑をかけてしまう可能性があると言ってたよ」
「熊本県公安委員会が指定した暴力団であることに間違いないんですね。極川会は」
「そうだ。圭一郎はその会長だ。間違いない……」
松尾は肩を落とし黙ってしまった。沈黙が続いた後、再び松尾が口を開いた。
「だがな……、圭一郎はこうも言ってたぞ。『お父さん、自分みたいな裏社会の人間と関わりを持つことは表面上、面倒なことばかりですが、実際はいろんなところで役に立てますよ。特に裏社会の情報網はネットによって得られる情報をはるかに上回ります。だから何か困ったことがあって、どうしようもないときは自分を頼ってください。必ずお役に立てます』とな」
「そうなんですか……。裏社会の情報網はそんなにすごいんですか……」
「そうは言っても安易に世話になるわけにはいかんがな……。とにかく、俺と血がつながった圭一郎が反社会的勢力のトップであることは間違いない。俺は国境リーグの理事長を辞めるしかない」
「わかりました。本当に残念ですが、先輩には辞任してもらうしかありませんね」
「ああ、辞任するよ。それしかない」
「急いで後任を決めなければなりませんね。規約では、理事長が退任した場合、副理事長のひとりが理事長に就任することが決められていますから、三島さんに理事長をやってもらうことになりますが、先輩はそれで良いと思いますか?」
「ああ、それしかないだろう」
「三島さんはパクたちに操られて、我々を欺いていた人ですが、今は本来の志を持って国境リーグに関わってくれていますから、必ず良い方向に引っ張ってくれますよね」
「そうだ。今の三島さんなら大丈夫だ。心から野球を愛している。大丈夫だ」
「わかりました。明後日、緊急理事会を開くと理事たちには伝えてありますから、その席で先輩が理事長を辞任して、後任の理事長を選出しましょう」
「わかった。明後日だな」
その後、阿比留と松尾は30分ほど、国境リーグが動き出してからの約1年10か月の間に起こったさまざまな出来事を懐かしく語り合った。

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