12
12月に入ると、対馬市議会で、清水が丘多目的広場の土地を5億円で「ワイルドキャッツ」へ売却することが承認された。議員の中には、反対をとなえる者も少なくなかったが、そのひとりひとりに阿比留と松尾は丁寧に説明し、賛成するよう説得した。その結果、賛成多数で承認されたのである。
そして、年が明けた2017(平成29)年2月、日韓両国の報道陣を対馬に招いて、「国境リーグ」設立の記者発表が行われた。理事長の松尾、専務理事のチェ、常務理事の三島、対馬市長の阿比留、プサン市長のパクが出席し、夕方や夜のテレビのニュース番組でも大きく取り上げられる予定だ。ただし、記者からは厳しい質問も少なくなかった。
「資金面はクリアになっているのか?」
「レベルの高くない選手たちの試合で、果たして観客を呼べるのか?」
「対馬に韓国人の観光客が今以上に増えると、新たなトラブルが発生するのではないか?」
「海上が荒れたら、選手の移動に支障が出るのではないか?」
「ソシオにはどれくらいの会員が集まると考えているか?」
記者発表が行われた一時間余り、松尾は緊張の面持ちで記者たちの質問ひとつひとつに丁寧に答えていった。阿比留と三島もフォローし、チェも独立リーグのプラス面をアピールしていった。だが、パク市長は名指しで聞かれた「プサン市からの資金の提供はありますか?」という質問に一言、「プサン市からは人は出すが資金は出さない」と答えたのみであった。
緊張の記者発表が終わり、阿比留が市長室に戻って、煙草に火をつけていた時、携帯が鳴った。辻村だった。
「もしもし、市長?」
「なんだお前か……」
「またまたー、なんだはないだろ、なんだはー」
「何の用だ。今、忙しいんだ。手短にな」
本当は忙しくなかった。
「聞いたよ。独立リーグ。記者発表だったんだろ?」
「お前、さすがに早いな。さっき終わったとこだぞ。まだどこでも放送されてはいないはずだけどな」
「もうインターネットには情報出てるよ。俺は2週間前から知ってたけどな」
「どっから聞いたんだ?」
「どっから聞いたかなんてどうでもいいじゃないか。それより、俺にも手伝わせてくれよ。資金だって出すぞ。うちの会社で」
「あいにく資金の目処もすでに立ってるんだ。そうでなくてもお前にだけは頼りたくない」
「そう冷たいこと言うなよー」
「いいや、お前にだけは頼らない。どうせお前はIRとの連携がどうのこうのとか思ってるんだろう? お前の魂胆は分かってるんだ」
「俺も嫌われちゃったものだねー。確かに野球とIR。いいじゃないか。どんどん人が対馬に集まるぞ。でもな、俺は、対馬のためにがんばってるお前の力になりたいって真剣に思ってるんだぞ。とりあえず今日はこの辺にしとくよ。困った時は連絡してくれ」
電話を切ると、阿比留は火をつけた煙草を吸って呟いた。
「あいつの力だけは借りるわけにはいかない……」。
記者発表の直後、パチンコ台メーカー、プライムの酒井から約束通り10億円の資金提供があり、国境リーグを運営するワイルドキャッツが正式に発足した。酒井とは、会社設立時に10億円、球場が完成したら残りの40億円を提供するという契約である。
そして3月に行う選手選考の要項が発表され、清水が丘多目的広場に建設される新球場のデザインが決まった。石垣風の土台の上に白い外壁、瓦葺きの屋根がつくが、グラウンドの上には屋根がない屋外球場である。外から見ると、城郭風の球場ではあるが、このデザインには関係者の間でも賛否両論があった。最終的には阿比留と松尾が「これしかない」と決断し、名称は「金石スタジアム」と決まった。対馬藩宗氏の居館があった金石城からとった名称である。
3月に入ると、清水が丘多目的広場の整備が始まり、同時に久田地区の厳原総合運動公園で選手選考が始まった。プサン側でも同じ時期にプサンのサジク(社稷)球場で選手選考が行われた。社稷球場は、韓国のプロ野球チーム、ロッテジャイアンツの本拠地球場である。国境リーグの試合もロッテジャイアンツが遠征に出かけている間を利用して、サジク球場で行われることになっていた。
選手選考は、身体検査、50m走、遠投により一次選考を行い、70名までしぼる。次の2次選考では、投手、野手に分かれて、投手はブルペンでのピッチング、野手はシートノックを行い、その後、実際にひとりの投手が3つのアウトを奪うまで打者と対戦して、最終的に2チーム50名を選出。戦力の均衡をはかって2チームに振り分ける。選考するのは、これに先立って、三島によって選ばれた2チームの監督、コーチたちである。全員が元プロ野球選手だ。
選手選考に集まったのは143名。2月の記者発表がニュース番組などで大きく取り上げられたため、記者発表から選手選考まで、わずか1か月という期間だったが、夢を持った多くの選手が対馬に集結した。集まった選手は、草野球チームに所属する選手、財政的な事情で廃部になった社会人野球チームに所属していた選手、元甲子園球児、東京六大学野球のチームで主将をつとめた選手もいた。そして元プロ野球選手も8名、選手選考に参加していた。もちろんそのひとりは海人である。海人は、打者との対戦では、3つのアウトをすべて三振で奪った。文句無しの合格である。
海人はグニョンとの再会を果たしてからずっと対馬でトレーニングにはげんできた。中学時代も毎朝走っていた、厳原港の東岸にそそり立つ立亀岩から阿須方面へのびる観光道路を毎日3往復し、高校時代のチームメイトに相手を頼み、投げ込みを続けてきた。
海人は、プロ野球選手として過ごした5年間より充実した日々を送っていると感じていた。それは間違いなくグニョンがいたからだ。グニョンはホテルでの仕事の合間をぬって海人に会いに来た。グニョンが働く慶尚ホテルは観光道路沿いにあるため、海人もランニングの途中でグニョンに会いに行くことも度々であった。そして時間がゆるせば漁火公園から海を眺めながら一緒に時間を過ごすのである。海人は思っていた。「もしホークスにいたとき、グニョンがそばにいてくれていたら……」と。
選手選考が終わった三月のある日、ランニングの途中で海人は慶尚ホテルに寄り、グニョンに会いに行った。フロントで働くグニョンを見つけると、駆け寄って言った。
「グニョン、今夜時間ある?」
「今日は、仕事は5時までだけど、その後で明日の団体客を迎える準備があるの。その後で良かったら大丈夫よ」
「何時くらいになるかな?」
「8時半くらいかな……」
「そうか……、それじゃ、8時半にうちの母ちゃんの店に来てくれる?」
「いいけど、どうしたの?」
「グニョンに会ってもらいたい人がいるんだ」
「そう……。誰?」
「ホークス時代に俺がお世話になった人」
「うん。わかったわ」
「それじゃ今夜」
夜、グニョンは8時半に海人の母親の店へ行った。
「こんばんは」
「あら、いらっしゃい。グニョンちゃん」
海人の母親が明るく迎えてくれる。中へ入ると、ボックス席に海人と、髪は七三分け、痩せた50代と思われる男性が座っていた。その男性を見て、グニョンは「あっ」と思った。
「グニョン、こっちこっち。紹介するよ。山猫ネットの辻村社長」
海人が辻村をグニョンに紹介した。
「グニョンちゃん、かわいいねー。辻村です。よろしくー」
辻村は笑顔でグニョンに挨拶する。
「こんばんは……」
グニョンが辻村に会うのは2度目だった。前の年、グニョンが退役軍人の抗議行動の通訳をつとめた時、リーダーのキムにくってかかったひとりの日本人が辻村だった。あの時、グニョンはどこかで見たことがある人だと思ったが、テレビで見たことがあったのだ。テレビの通販番組で、辻村を見ていたのである。辻村は、通訳をしていたグニョンのことは覚えていないようだ。
「辻村さんには本当にいろいろ世話になってるんだ。俺がホークスに入ったら、真っ先に後援会をつくってくれて、去年、俺が自由契約になった時もその後についていろいろと相談に乗ってもらったんだ。独立リーグでもう1回チャレンジするって報告したときも『がんばれよ』って応援してくれたしね」
海人が辻村を見る目は父親を見ているようだとグニョンは思った。
「まぁ、海人がまた野球をがんばるって言ってくれた方が俺はうれしいよ」
辻村は海人の肩をポンと叩きながら言った。
「そう言ってもらえるとありがたいです」
そうやって会話するふたりを見て、グニョンはふたりの親密度がわかった。
「さぁさぁ、グニョンちゃん、乾杯しようよー」
そう言いながら、辻村はグニョンの水割りをつくった。
海人が音頭をとった。
「それでは、独立リーグの成功と、山猫ネットの発展、それと……、俺とグニョンの明るい未来へ、カンパーイ!」
海人が言った最後の言葉が気になったが、とりあえずグニョンもグラスをかかげた。
「おいおい海人、お前、それってグニョンちゃんへのプロポーズに聞こえるぞー」
辻村が言った。
「わかりますか? そのつもりなんですけど……」
「えっ、本当に?」
グニョンは驚いた。
「本当はきちんとプロポーズしたいんだけど、俺は、まだまだ宙ぶらりんで、これからがんばらなくちゃグニョンを幸せにできないから、『俺はグニョンを幸せにします』っていう決意表明だと思って欲しい」
「うれしい……」
グニョンの目に涙がたまってきた。
「お前、そういうことは、もっとムードのあるところでやるもんだぞ」
辻村が海人に言う。
「俺にとって辻村さんは大事な人ですから、辻村さんにも聞いて欲しかったんです。ここなら母ちゃんもいますから」
「しっかり聞いたよー。がんばんなさいよー」
カウンターの中から海人の母親が笑顔で言った。
「お前、嬉しいこと言ってくれるねー。かわいい奴だよ。海人は。でも、本当にがんばれよ。こんなにかわいいグニョンちゃんを泣かすんじゃないぞ。って、今、泣かしちゃったな……」
そう言いながら辻村は笑った。海人も笑った。グニョンも涙をこぼしながら大声で笑った。カウンターの中では海人の母親がグラスを洗いながら微笑んでいた。
13
選手選考を通過した海人が所属するチームは「厳原フィッシャーズ」に決まった。グニョンとの仲を知っている松尾が<配慮<<はいりょ>>してくれたようだ。
4月になると、金石スタジアムの建設が始まった。そして、プサン側で選ばれた選手たちも加わり、厳原総合運動公園で合同練習が始まった。選手たちには4月から10月まで、月20万円の給料が支払われ、7か月かけて、プロらしいプレーを見せるための厳しい練習が課せられる。選手だけでなく、監督、コーチも含めた全員がチームごとに商工会議所が用意した宿舎で寝泊まりし、チームとしての結束を強める。同時に彼らは、オフを利用して、日韓両国の各地へ赴き、国境リーグのPR活動を行うという使命も担っていた。
海人は燃えていた。心が弱かった自分と決別し、本当のプロ野球選手になるため、再出発する気構えで合同練習に臨もうとしていた。「グニョンを幸せにするために……」という強い思いが海人を支えている。
合同練習初日、グラウンドに集合の合図がかかると、全ての選手が集合し、自己紹介が始まった。通訳はグニョンだ。
プサンの選手から順番に自己紹介が行われ、中区ポセイドン所属のある選手の順番が来たときにグニョンが驚いた顔になった。幼なじみのウソンがそこにいたのである。海人も気づいた。
「ウソン!」
海人は思わず大声で呼びかけた。するとウソンは、ニコっと笑って右手の親指を立てて、海人に合図した。
すべての選手の自己紹介が終わり、スタッフによって練習の準備が行われている時間を利用して、海人はウソンのところへ駆け寄った。グニョンもやって来た。
「ウソンも独立リーグに参加してたなんて知らなかったよ」
海人の言葉をグニョンが通訳しようとした時、ウソンが、たどたどしい日本語で返してきた。
「がんばりました。内緒にしてました」
「ウソン! 日本語を覚えたの?」
グニョンが日本語でウソンに聞いた。
「はい。少しだけ。勉強し始めたばかりです」
「すごいな! ウソン。俺は高校時代にグニョンに教えてもらった韓国語をすっかり忘れてしまってるっていうのに……」
「海人は、勉強は苦手だからね」
「そんなことないぞー。俺だってこれからまた韓国語勉強するからな」
「これからは僕も海人に韓国語、教えてあげます」
3人は、高校時代の楽しかった時間を思い出しながら笑った。
「海人、今度は独立リーグの試合で真剣勝負しましょう!」
ウソンが海人に言った。
「おう。あの時は負けちゃったけど、今度は絶対三振獲ってやるからな」
「僕も負けません。高校時代はレギュラーになれなかったけど、今度は絶対レギュラーになって、試合で海人のボールを打ちます」
海人とウソンの横でグニョンが優しく微笑んだ。そこへカメラを持ったスーツ姿の男性が近づいてきた。
「すみませーん。市長秘書の橋本といいます。写真撮らせてもらっていいかな? 君たちはもともと知り合いだったの?」
「はい。高校時代からの知り合いです。写真? いいですよ。なぁウソンも、グニョンもいいよな」
海人がふたりに確認する。
「いいですよ」
「うん。いいですよ」
ウソンとグニョンも了承し、3人はカメラにおさまった。
初日の練習が終わると、海人、グニョン、ウソンの3人は、一緒に食事をした。
楽しい会話の中で、ウソンが独立リーグに参加しようと決心した経緯を話し出した。
「実は、高校の時に僕のチームのレギュラーだったキャッチャーが去年の春、亡くなったんです。彼は素晴らしいキャッチャーでした。僕がどんなにがんばっても彼を越えることはできなかった」
「ウソンがかなわないんじゃ、相当いいキャッチャーだな」
「そうね……」
海人とグニョンがウソンを見ながら言った。
「彼は素晴らしい才能を持っていたけど、ひとつだけ弱点があった。心臓に病気があったんです。突発性心筋症という病気でした。高校を卒業して大学に進学してから症状がだんだん重くなって、一昨年の春頃、彼が生き続けるには心臓移植しかないと医者に診断されました。それで、彼の両親はアメリカでの移植手術を受けるために募金活動を始めたんです。僕も手伝いました。そして去年の3月に、ようやくアメリカで手術が受けられるだけのお金が集まったんですが……、間に合わなかった。彼は亡くなってしまいました」
「残念だったね……」
「本当に残念だったな……」
辛い話に、海人とグニョンは表情を曇らせた。
「だから僕は国境リーグで、彼が果たせなかったプロ野球選手になるという夢を代わりに叶えて、彼の分まで活躍したいんです。彼ほどの才能は僕にはないけど、彼が褒めてくれるように、一生懸命がんばります」
「プサンの選手選考はすごく多くの人が受けたんだろ?」
海人が聞いた。
「300人近く集まったって聞いたわ」
グニョンが答えた。
「はい。すごく多くの人が来ていました。元プロ野球の選手もたくさんいました。韓国では、兵役があるから、プロ野球の選手になっても、兵役の間に違う選手にポジションを奪われていることがよくあるんです。そんな選手が多く集まっていました」
「ウソン、兵役は?」
グニョンが聞いた。
「まだです。いつか入隊しなければなりません」
「そうか……。俺たち日本人は恵まれてるのかもしれないな……」
海人は野球のことだけを考えていればいい自分が恥ずかしくなった。
「そんなに多くの選手が集まった中で、よく合格できたわね。ウソン」
グニョンが言った。
「必死でした。彼の叶わなかった夢を、僕がどうしても叶えてやりたかったんです」
「ウソンは優しいな。そして偉いよ」
海人が呟く。
「合格したのは彼が力を与えてくれたからだと思います。これがその彼、僕の親友だったチャ・サンミョン(車相勉)です」
ウソンは財布から取り出した1枚の写真を海人とグニョンに見せながら言った。グニョンは写真を見ながら悲しい表情を見せる。
「サンミョンくんも対馬高校に見学に来てたのか?」
海人が訊ねる。
「はい。来てました」
「本当に残念だったね」
グニョンが悲しい顔をした。
「本当に残念でした。彼の死は彼の才能も殺してしまったんです。もう少し早くサンミョンをアメリカに行かせてあげられていたらと思うと悔しくてたまりません。だから、僕、彼が亡くなってから、僕に万が一のことがあった時に、僕の臓器を病気で苦しんでいる人に使ってもらう意思表示をすることにしたんです」
そういうとウソンは韓国の臓器提供意思表示カードをふたりに見せた。
「そんな万が一なんて言わないで、ウソンはサンミョンの分まで野球をがんばるんだぞ。でも俺は負けないけどな」
「ウソンにだけは負けてあげなさいよ」
グニョンが言う。
「大丈夫。実力で海人のボールを打ちますから」
「おお、言ったなー、ウソンにだけは打たせないぞー」
「ほらほら、ふたりとも、そんなに熱くならないでよ」
3人に笑顔が戻った。
14
2日目の練習が終わった後、ウソンがひとりの韓国人選手を海人のところへ連れてきた。
チョ・ドンウォン(趙棟元)である。韓国プロ野球の元スター選手で、フォークボールを武器に20勝したこともある投手だ。37歳だという。
「海人、紹介するよ。チョ・ドンウォン先輩」
「はじめまして。宜しくお願いします」
「こちらこそ。よろしく」
互いの挨拶をウソンが通訳してくれた。
「海人、さっき先輩が海人のピッチングを見ていて、こう言ったんだ、『彼のストレートとスライダーに、俺のようなフォークボールがあれば、彼はどんなバッターでも打ち取れるぞ』って」
ウソンはライバルである自分にフォークボールを伝授してくれる人を紹介してくれたんだと海人は気づいた。
「君の手は大きい。フォークボールに最も向いている。君が一流のフォークボールをマスターできたら、メジャーでも通用するピッチャーになる」
チョの言葉をウソンが通訳した。
「ありがとうございます。ホークスにいたときも何度かコーチに教わってフォークに挑戦したんですが、どうしても上手く落ちなくて……。でも今度こそがんばります。是非、教えてください。必ずマスターしてみせます」
その日から海人は、全体練習が終わった後、チョ・ドンウォンからフォークボールをマスターするべく特訓を受けた。ウソンがキャッチャーと通訳をつとめてくれた。
初めの頃は、ボールを上手く抜くことができず、ボールはほとんど落下しなかった。バッターが立っていればホームランボールである。それでもチョ・ドンウォンは1球1球投げる度に海人へアドバイスを送り、練習を始めて3日目には、少しだけボールが沈むようになった。その後も握り方を工夫するなどして練習を続け、1週間後には、驚くほどの落差で急激に落ちるフォークボールを投げることができるようになった。ただ、常に同じようなボールを投げられたわけではなかった。すでに高校時代から縦に落ちるスライダーを投げている海人にとって、ボールの軌道が異なるフォークボールと縦に落ちるスライダーを投げ分けることができれば、それだけで大きな武器になる。しかし、フォークボールを投げる際にボールを抜くという感覚から、明らかにスライダーやストレートを投げるときのフォームとフォークボールを投げるときのフォームが違ってしまう。チョ・ドンウォンは、その欠点を修正すべく、毎日、細かくアドバイスをしてくれたが、練習を始めて2週間後、中区ポセイドンの監督にそのことが知られてしまい、それ以降はチョ・ドンウォンとウソンは海人の練習に付き合うことができなくなってしまった。そのことをウソンから伝えられた海人は、
「ウソン、ありがとう。ウソンは俺のライバルなのに、チョさんを俺に紹介してくれるなんて、お前は本当にいい奴だな。チョさんにも後でお礼を言いに行くよ」
「僕は、海人にも成長してもらいたいです。僕の親友だったサンミョンと同じように、海人にも才能がある。でも、弱点があることも僕は知ってるんだ。海人がなぜ日本のプロ野球で成功できなかったかということを。僕はすごいピッチャーになった海人と対戦して、勝ちたいって思っています。海人が成長すれば、僕はもっと成長しなければならない。ふたりでもっともっと成長して、独立リーグを成功させましょう」
海人は改めて、ウソンの独立リーグに対する強い思いを感じたのであった。その後、海人は厳原フィッシャーズのコーチに付き合ってもらい、練習を始めて1か月後には、10球中6球程度の精度で思い通りのフォークボールを投げることができるようになった。ピッチングフォームは、他の球種を投げるときとほぼ同じである。伸びのあるストレート、横に大きく曲がるスライダー、縦に落ちるスライダーに、スライダーとは異なる軌道から急激に大きく落ちるフォークボールが加わったのである。
球種が増えたことで、海人のピッチングには幅が広がった。それによって得た自信と、対馬に戻ってから、毎日、観光道路を走り込んできた成果により、ストレートの伸びとコントロールにも磨きがかかっていた。練習では、フリーバッティングに登板することもあったが、海人のストレートにほとんどのバッターは差し込まれ、バットが空を切ることも多かった。
海人は、プロ野球時代にもがき苦しんでいたことが嘘のように、大きな自信を手にしていた。

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