『国境リーグ』Web版 vol.4

国境リーグ Web版
『国境リーグ』Web版 vol.4

9

晩秋ばんしゅうの甲子園球場。高校球児たちのあこがれの舞台であるこの球場に、2016(平成28)年限りで所属している球団から戦力外通告を受けた選手たちが集まっていた。プロ野球に居場所がなくなった選手たちにとって、最後の希望をかけた12球団合同トライアウトが始まろうとしていた。
上原うえはら海人も現役続行への一縷いちるののぞみをかけて、高校時代には縁がなかった甲子園球場へやってきた。
福岡ソフトバンクホークスから戦力外通告を受けたのは1か月前。未だ気持ちの整理がつけられないまま、今日の合同トライアウトを迎えていた。
高校時代、海人は「離島のドクターK」と新聞や地元のテレビで大きく取り上げられた。右投げ右打ち、エースで4番。対馬高校の大黒柱として、2年生の夏の大会では、長崎県予選でベスト4まで勝ち進んだ。対馬高校硬式野球部初の快挙かいきょだった。しかも1回戦で16個、2回戦で15個、3回戦で17個、準々決勝で18個、敗れた準決勝でも18個の三振を奪った。150㎞近いストレートと、タテとヨコに鋭く曲がるスライダーが海人の武器だった。
しかし、秋の大会では不運に見舞われる。対馬高校は、公式戦が行われる度に対馬から長崎まで移動しなければならない。対馬から福岡までフェリーで四時間、福岡から長崎までのバス移動に約3時間かかる。1回戦から2回戦の間が3日以上空いた時には、いったん対馬へ帰り、授業を受け、再び移動する。秋の大会では12個の三振を奪って1回戦を勝ち上がった後、2回戦まで4日空いていたため対馬へ帰った。普段通り授業を受け、2回戦へ向かおうとした時に運悪く台風が来てしまった。フェリー、飛行機とも欠航。対馬から出ることができずに2回戦は棄権きけんするほかなかったのである。離島の高校のハンデと諦めるしかなかった。
ところが、その不運が逆にマスコミの注目を集めることとなる。新聞やテレビの取材が海人に殺到した。185㎝の長身で童顔の海人は一躍人気者となった。多くのファンレターが学校へ届くようになった。プロ野球のスカウトもたびたび対馬を訪れ、海人の練習を見に来るようになった。海人自身もプロになりたかった。
海人には母親しかいない。父親は漁師だった。イカ釣り漁船の灯に集まるイカを狙ってくるカジキなどの大物を、大きなモリで突き刺して獲る突きん棒漁の名人だったが、嵐の日に遭難そうなんし、行方不明になった。海人が2歳の誕生日を迎えた日である。父親が行方不明になった直後から、母親は厳原でスナックを始めた。1階が店、2階が母親と海人が暮らす住居にできる物件を、父親の友人が勧めてくれたからである。競争がはげしい厳原でのスナック経営は苦しかった。それでも母親は、海人にやりたいことをやらせてくれた。小学校の時、海人が「野球をやりたい」と言った時は、苦しい家計をやりくりしてバットとグローブを買ってくれた。少年野球チームにも入れてくれた。野球を始めてからの海人は、母親がいない夜、街灯に照らされた近所のブロック塀にボールをぶつけて、毎晩、遅くまでひとりで遊んでいた。
そんな海人にピッチャーとしての才能を見いだしたのは少年野球チームの監督、松尾である。松尾はボールを投げる時の海人のひじの使い方を見て、小学5年生の時、ピッチャーをやらせてみた。すると、海人は、9割の確率でキャッチャーの構えたところへ切れのいいストレートを投げてみせた。突きん棒漁の名人だった父親の血を受け継いだ天性の肩の強さと、街灯下でのひとり遊びによって身につけたコントロールが5年生の海人には備わっていたのである。
中学時代まで試合では結果が出せないでいたが、元プロ野球選手たちによるフューチャーズの野球教室では、「この子はすごい!」といつも褒められていた。「プロになれるよ」。そう言ってくれる人もいた。海人自身もプロを意識して野球に取り組むようになった。毎朝、6時に起きて厳原港の近くから坂道を上って観光道路を対馬高校方面へ走った。坂道を走るのは辛かったが、朝のランニングだけは、どんな日も欠かさなかった。
高校入学後、海人はバッティングの才能も開花させる。1年生の時からエースとして公式戦で投げていたため、試合では打席に入る。初めは9番を打っていたが、秋の大会で、インコースのボールを、身体を開きながらレフトポール際にホームランした時、何かをつかんだ。ホームラン自体は偶然の産物だったが、身体が感覚を覚えてしまったようだ。2年生になると、海人よりボールを遠くへ飛ばせる選手はいなくなった。
高校生活最後の3年生になると、海人は対馬の島中の人から声をかけられた。「がんばってね。応援してるよ」。応援はありがたかったが、いつの間にかそれがプレッシャーとなって海人に重くのしかかっていた。春のNHK杯では、楽勝と思われた初戦で、立ち上がりにフォアボールを連発して3点を奪われ、2点を返したものの敗れてしまう。
最後の夏の大会、長崎県予選では、1回戦こそNHK杯同様、立ち上がりに乱れて失点したが、その後反撃して快勝。続く2回戦、3回戦、準々決勝でも相手を寄せつけずに勝ち続けた。奪三振は3回戦の14個が最高だったが、最後の夏を迎えた海人のピッチングには安定感があった。島民たちは、対馬高校初の甲子園切符を確信していた。
準決勝の相手はかつての甲子園の常連校、長崎海星かいせいである。1年前の準決勝では敗れた相手だ。この試合に勝てば1年前のリベンジを果たすとともに、甲子園出場にリーチがかかる。生中継された試合は、対馬島民のほとんどが観戦した。試合が行われていた2時間半余り、厳原の中心部である大町おおまち通りと川端かわばた通りから人影が消えていた。試合は相手投手も良く投げ、0対0のまま延長戦へ突入。12回裏、順調に2アウトまではとったが、続く打者が放ったライトフライをライトが落球。2アウト2塁のピンチをまねく。続く打者が意表をついてセーフティバント。3塁手が懸命に1塁へ送球したが、ギリギリセーフ。2アウト1・3塁とピンチが広がった。続く打者は、監督の指示により敬遠して満塁策をとった。迎えた5番打者は、1年前タイムリーヒットを打たれた選手である。海人の中で1年前の記憶が影響したのかもしれない。球持ちが悪くなってしまった。通常よりやや早く海人の指先から放たれた回転のかかったボールは、右打席の相手打者のヘルメットを直撃した。その瞬間、海人の高校野球が終わった。
甲子園出場こそならなかったが、秋のドラフトでは、海人は注目選手のひとりであった。海人自身はどこの球団でも良かったが、母親は福岡ソフトバンクホークスに行って欲しかったようだ。そんな母親の願いがかなった。海人はドラフト3位で福岡ソフトバンクホークスに指名され入団する。
ほとんどの高卒ルーキーのプロ1年目は、2軍でプロの身体づくりに専念させられる。海人も同じだった。実戦よりは、サーキットトレーニング、走り込みと投げ込みのくり返しであった。2年目になると、2軍ではあったが、春季キャンプから紅白戦での登板機会が与えられた。1年間、じっくり身体をつくってきた海人は、自信をもって紅白戦に登板したが、ストレートもスライダーも全く通用しなかった。1つのアウトもとれずにみじめに降板する。2度目、3度目も同じだった。コーチから言われたことがある。「お前はキャッチャーがインコースのボール球を要求していることの意味が分かっていない」。理屈では海人も分かっていた。両サイドを厳しくつく投球をしなければプロで通用しないことは。打者が最も打ちにくいのはアウトローのストレートでも、それだけを投げていたら必ず打たれることも分かっていた。しかし、キャッチャーがインコースに構えると、どうしても高校野球生活最後の瞬間のことが浮かんできてしまうのである。
海人が最後にデッドボールを与えた選手は、デッドボールを受けて転倒した際に足首をひねり、アキレスけんを痛めてしまったそうである。長崎海星は決勝戦でも勝利し、甲子園出場を決めたが、その選手は出場することができなかった。そのことを聞いた海人は、びの手紙をその選手に出した。「君が気にすることではない」という返事が返ってきたが、海人は深く落ち込んだ。
実戦登板がほとんどなかった1年目には気づかなかったが、2年目になって実戦で登板するようになって、改めて自分の心の変化に気づかされた。頭では分かっていた。だが、インコースを狙って投げると真ん中へ行ってしまう。ならばと、相手打者を狙って投げればインコースに行くのではないかと試したこともあった。しかし、相手打者を狙うと本当にぶつけてしまった。海人は深い闇に落ちていった。
ただ、バッターボックスに打者が立っていなければ、海人のボールは素晴らしかった。典型的な「ブルペンエース」だ。ボール自体は素晴らしかったので、あの手この手とコーチたちもいろいろと海人を指導した。坐禅ざぜんを組ませたり、滝にうたれたり、もっぱら精神修行的なものが多かった。しかし、どうしてもきっかけがつかめない海人は、プロ5年目の秋、戦力外通告を受けたわけである。

12球団合同トライアウトでは、投手は打者3人と対戦する。そこで結果を出し、球団から声がかかるのを待つ。
海人が甲子園球場へやって来た時、球場入り口でひとりの選手が携帯電話で話していた。
「あっ、もしもし俺。先生はいくら必要だって言ってた?」
北海道日本ハムファイターズを戦力外となったベテラン、戸崎とさき慎吾しんご外野手だ。
「えっ、そんなにかかるのか……。俺がこんな状態じゃ、おふくろに満足な治療を受けさせてやることもできないな……。分かってるよ。打席に集中することだけ考えるから。それじゃ、もう行かなきゃならないから……。終わったらまた電話するよ」
電話を切った戸崎と、海人は目が合った。
「おはようございます。今日は宜しくお願いします」
海人は深々と頭を下げて挨拶した。
「ああ、宜しく。お互いベストを尽くしてこの世界に生き残ろう。君と対戦するかどうかは分からないけどな……」
「はい。戸崎さんの幸運を祈っています」
「君もがんばれよ」
深刻そうに話していた電話の時の表情とは違っていた。海人には、戸崎が無理して明るく振る舞っているように感じられた。
ロッカールームで着替えを済ませ、準備運動が終わると、いよいよトライアウトが始まった。海人は3番目の投手として投げた。1人目、2人目ともに外に逃げるスライダーを引っかけさせて打ち取った。
そして3人目。打席には戸崎が入ってきた。それまでは忘れていたが、戸崎が打席に入って来た時、球場入り口で戸崎が電話で話していた光景が頭に浮かんできた。「戸崎さんのお母さん、病気なんだ……」。そんなことを考えてしまった。「いやいや、そんなことは俺には関係ない。戸崎さんも『ベストを尽くそう』って言ってくれてたんだ」と自分を戒めたが、いつものように腕を振れなくなっていた。アウトローを狙ったストレートがシュート回転し、ベルトの高さのど真ん中に入ってしまった。そんなホームランボールを戸崎はものの見事に打ち返し、ボールは一瞬にして甲子園球場のレフトスタンド中段まで飛んで行った。勢い良く飛んで行く打球を見送った海人は「終わった……」と、声にならないような小さな声で呟いた。
トライアウトが終わり、海人が帰り支度をしていた時、ひとりの男性が声をかけてきた。来シーズンから横浜DeNAベイスターズの1軍ピッチングコーチ就任が決まっている中村元雄である。海人の少年野球時代の監督である松尾俊治の親友でもあり、フューチャーズの一員として中学時代の海人を指導したことがある。「プロになれるよ」と言ってくれたひとりだった。
「海人、俺は残念だよ」
「はい。すみません。力不足です」
「やっぱりお前はプロのピッチャーには向いてなかったのかな……」
「今日の結果では何と言われても仕方ありません」
中学時代、「プロになれるよ」と言ってくれたプロ野球の大先輩から、今度は「向いてなかった」と言われるのは、とても辛かった。
「実はな海人、今日はお前を獲ろうと思ってここに来たんだ」
「えっ、そうなんですか……」
海人は驚いた。が、次に中村は意外なことを言い出した。
「お前、今日、球場に入るとき、戸崎に会ったろう」
「あっ、はい。お会いしました」
「あいつ深刻な顔して電話で話してたんじゃないか?」
「そうです。電話でお話しされていました」
「どんな内容だったか、お前、聞いてしまったんじゃないか?」
「あっ、はい。おふくろさんがご病気のようでした」
「お前、戸崎が打席に入る時、そのことを思い出さなかったか?」
「いや……。は……い、正直、思い出してしまいました」
「バカヤロー! だからお前はプロのピッチャーになりきれていないんだ。マウンドに立った時、情に左右されているようじゃ、いつまで経ってもお前はプロにはなれない。いつまでも高校野球最後の1球を引きずりやがって……。『優しい』ってのはな、女にはもてても、プロとしては失格なんだよ。お前のボールは1軍でも十分通用するんだぞ。本当にもったいない」
「自分でも分かっているんです。頭では分かっているんです。でも、いざ投げるときになると身体が言うことをきかなくなって、腕が振れなくなってしまって……」
海人は自分の情けなさに涙が出てきた。だが、次に中村が発した言葉に、海人は愕然がくぜんとしてしまった。
「海人、実はな、あれは嘘だ。あれは俺が戸崎に頼んで一芝居うってもらったんだ。お前が来るのを球場入り口で待っててもらってな。戸崎だって生活がかかってる。お前が甘い球を投げてくる確率が高くなるならと喜んで引き受けてくれたよ。それで、俺が関係者に頼んで、お前と戸崎が対戦するように計らってもらったんだ。悪く思うな。お前を真剣に獲ろうと思ってたんだ。だが、お前は俺が出した試験に落第した。本当に残念だよ。しかしな、お前はまだ若い。心の弱さを克服すれば、これからでも本当のプロのピッチャーになれるはずだ。諦めるな。またいつか会おう」
そういうと中村は去って行った。
残された海人は、自分のおろかかさを恨んだ。「中村さんは俺を獲ろうとしてくれてたのに……」。プロに入ってからの5年間、自分でも分かっていた弱点を、結局、合同トライアウトというギリギリのところでも克服できなかった。「中村さんは諦めるなと言ってくれたけど、これから俺はどうすればいいんだ……」。海人がそんなことを考えていた時、ポケットの中でスマホが鳴った。
「海人か?」
少年野球の監督だった松尾だ。
「はい。ご無沙汰しています。監督」
「おお。海人、お前、今日トライアウトだったんだろ? どうだった?」
正直に結果を報告するのは辛かったが、松尾に嘘はつけない。
「ダメでした。俺を獲ってくれるところはないと思います。もうプロ野球に俺の居場所はありません……」
海人は、松尾から失望の言葉が返ってくると思っていたが、松尾から返ってきた声は逆のトーンだった。
「そうか。残念だったな。でもな、お前はついてるぞ。実はな、対馬に独立リーグができることになったんだ。お前も対馬に帰って、独立リーグで投げてみないか? そこからもう一度プロを目指せばいいじゃないか」
「独立リーグですか……」
「ああ独立リーグだ。対馬とプサンに2チームずつ、計4チームでリーグ戦を戦うんだ。国境リーグっていうんだが、俺がそのリーグの理事長になったんだよ」
「監督が理事長ですか……」
「そうだ。とにかく対馬に帰って来い、海人。ゆっくり話そうじゃないか」
「はい。わかりました。明日帰ります」
「おお、待ってるぞ」
松尾の声は最後まで明るかった。高校時代、そこに立つためにすべてをかけていた憧れの甲子園のマウンドでプロ野球選手としての夢をつなぐことができなかった海人にとって、松尾の声の明るさと、松尾が話していた「独立リーグ」という言葉は救いであったが、希望と呼ぶにはまだまだほど遠い、闇の中でかすかに灯る一点の光でしかなかった。

10

翌日、海人は対馬に帰った。厳原港に着くと実家に荷物を置いて、すぐに松尾の家に向かった。母親は今夜も店がある。家に居てもどうせひとりだ。
松尾は明るく海人を迎えてくれた。
「おお海人、お帰り。よく来たな。まぁ上がってくれ」
松尾はひとりだった。
「はい。おじゃまします」
「かみさんは出かけてるんだ。そろそろ帰って来ると思うんだけどな……。今日は週に1回の生け花教室だそうだ。帰って来たらすぐ支度すると思うから、飯でも喰って行ってくれ。とりあえず、ビールでも飲もうや」
松尾は台所へビールを取りにいった。
「すみません。監督。おかまいなく」
「何を水臭いこと言ってるんだ。俺に遠慮えんりょするなよ」
そう言いながら松尾は海人のグラスにビールを注いだ。自分のグラスにもビールを注ぎ終えると、松尾はグラスを手に持った。
「それじゃ、お疲れさん。乾杯!」
そう言うと、松尾は自分のグラスを海人のグラスにカチンとぶつけた。海人は無言で頭を下げた。
グイッとグラスのビールを飲み干すと、松尾は静かに話しだした。
「海人、昨日電話でも話したけどな。お前、独立リーグでプレーしてみないか? フューチャーズの三島さん、お前も知ってるよな?」
「はい。よく教えてもらいました」
「その三島さんが提案してくれたんだよ。対馬とプサンで独立リーグをやらないかってな。俺たちには考えもつかないようなスケールの大きいことで、初めは俺も、市長の阿比留も『無理だ』って思ってたんだけど、三島さんが資金提供してくれる企業の社長さんまで探してくれてな。それからあっという間に具体的な話になっていったんだよ。それで俺が理事長の大役をまかされることになったんだ。この俺がだそ。野球しか知らない俺に理事長が務まるのか、俺が一番不安なんだ。市長の阿比留は『対馬の野球少年たちに希望を与えてくれた先輩しかいない』って言ってくれてるんだけどな。この独立リーグには対馬の将来がかかってるんだ。絶対成功させなくちゃならん。だから俺は独立リーグが成功するためには、何でもやるつもりなんだ。なぁ海人、お前も俺に力を貸してくれないか?」
「俺もプロ野球選手にまでなれたのは監督のおかげだと思ってます。だから監督にそう言ってもらうのは嬉しいんですけど、正直、まだ心の整理がつけられなくて……。少し考えさせてもらってもいいですか?」
「ああ、いいとも。時間はある。ゆっくり考えてくれ」
「ありがとうございます」
そう言うと、海人はグラスのビールを飲み干した。空いたグラスに松尾がビールを注ぐ。
その時、玄関が開く音がした。
「ただいまー」
松尾の妻の声だ。
「おっ帰って来たようだな?」
松尾が玄関の方へ歩いて行った。
「こんばんは」
松尾の妻は誰か若い女性を連れてきたようだ。
「おお、こんばんは。よく来たね。さあ、上がって上がって」
「はい」
松尾は妻が連れてきた女性を家へ招き入れた。その女性は松尾と一緒に海人のいる居間へ入って来た。
「グニョン!」
「海人!」
海人とグニョン、4年半振りの再会だった。
「お前たちを驚かそうと思って、ふたりにはお互いが来ることを黙ってたんだ。どうだ? びっくりしただろう。とりあえず、久しぶりの再会を祝って、乾杯しようや。おい幸子~、グニョンちゃんにグラスをくれ」
そう言うと、松尾は台所へ行った。
「グニョン、対馬へ来てたのか~。知らなかったよ。俺は、グニョンは卒業したらもう2度と対馬には帰って来ないって思ってたから……」
「そのつもりだったけど、今は慶尚ホテルで働いているのよ。今日は松尾のおばさんたちと生け花教室に行ってたんだけど、終わった後、おばさんが食事していきなさい言ってくれたから来たの。でも、海人がいるなんて。本当にびっくりしたー」
松尾がグニョンのグラスとビールを持って来た。そしてグニョンのグラスにビールを注ぐと、優しそうな笑顔で言った。
「ふたりの再会に乾杯!」
「カンパーイ!」
海人とグニョンも声をそろえた。

11

グニョンが対馬高校へやって来た時、グニョンは全校生徒の前で紹介された。グニョンは覚えたての日本語で「コ・グニョンです。宜しくお願いします」と挨拶した。海人が初めてグニョンを見たのはその時だ。
普通科だった海人と、国際文化交流コースのグニョンとは接点がなかったので、話をする機会はなかった。しかし、グニョンが下宿していた山崎釣具店と海人の家は50mほどしか離れていなかったため、野球部の朝練習がない日には、グニョンが登校する姿をよく見かけたものだった。「かわいい子だな」と思っていた海人だったが、グニョンがどの程度日本語を話せるのか分からなかったし、何より高校生活のすべてを野球中心にしていたので、あえて話しかけることはしなかった。
1年生の夏休み前のある夜、海人は野球部の同級生ふたりとティアラにあるスーパーマーケットで買い物をした後、店の前で話していた。近くには浴衣を来た同級生の女の子5人が楽しそうに話していた。その中にはグニョンもいた。とても浴衣が似合っていた。「やっぱりコさんはかわいいなぁ……」と、海人がグニョンたちを気にしていたときだった。ティアラの焼鳥屋から出てきた酔っぱらった中年男性がグニョンに近づきながらグニョンを指さしている。
「チョーセンが浴衣着ちゃダメだろう。早く脱いでチョゴリに着替えろ!」
中年男性のこの言葉を聞いた海人は、即座に中年男性の背後に走り寄り、中年男性をはがい締めにした。
「おっちゃん、自分が何言っているかわかってる? コさんに謝れ! 早く! ほら!」
そう言いながら海人はどんどん中年男性を締めつけていた。嫌々ながらグニョンに謝った中年男性が立ち去った後、海人も対馬の人間として恥ずかしいとグニョンに謝った。そのときのグニョンの悲しい目は海人の心に深くきざまれていた。
グニョンも海人のことは知っていた。1年生ながら野球部のエースとして活躍が期待されていることや、女子から人気があることも。海人の家が、自分が暮らしている山崎のおじさんの家からとても近いことも知っていた。
夏休みには、プサンに帰っていたグニョンだが、2学期が始まる前、厳原へ戻ってきて、グニョンが最初に向かったのは、海人の家である。
「こんにちは」
「あら山崎さんとこのグニョンちゃんじゃない?」
海人の母親が出てきた。当然、近所に下宿している韓国人留学生のグニョンのことは知っていた。
「上原くん居ますか?」
「ごめんねー。海人は昨日から比田勝のお友だちの家に泊まりに行ってるのよ。三宇田浜みうたはまで泳ぐって言ってたけど。クラゲに刺されて帰って来るんじゃないのかね~。今日の夕方には帰って来ると思うけど」
「そうですか……。これ私の実家で母が作ってるキムチです」
「あら、いただいちゃっていいの? ありがとうね。海人も大好きなのよ。キムチ」
「上原くんに宜しく伝えてください」
「ありがとうねー。グニョンちゃん、日本語上手ねー。いつでも遊びに来てね」
海人に会えなかったのは残念だったが、海人の母親が自分を自然と受け入れてくれたことにグニョンは安心した。
その日の夜、今度は海人が山崎釣具店へグニョンを訪ねた。
「こんばんは。おっちゃん、コさん居る?」
「居ると思うけど、お前、グニョンに何の用だ?」
「俺が居ない時、家にお土産のキムチ持ってきてくれたらしいんだ」
「そうか……。グニョンの母ちゃんがつくったキムチは天下一品だそ。俺はあれだけで飯3杯はいけるからな」
そう言うと、山崎のおじさんは家の中へ入っていった。しばらくして、グニョンが出てきた。海人を見て、少し照れくさそうに挨拶した。
「こんばんは」
「こんばんは。コさん、キムチありがとう。良かったら外で少し話さない?」
「いいですよ」
ふたりは5分ほど歩いて厳原港埠頭ターミナルまで行き、ベンチに座って話をした。海人はグニョンが、自分が想像していた以上に日本語を話せることに驚いたが、いろいろなことを話した。学校のこと、中学時代までのこと、お互いの親のこと、友だちのことなど、自分のことを話して、相手にも聞いた。そして、あの夜のことをもう一度、海人はグニョンに謝った。グニョンは助けてくれた海人が謝ることではないと言った。すると海人は、「今度、あんなことがあったら俺に言って。必ず俺が謝らせるから。俺がコさんを助けるから」と、グニョンの目を見ながら力強く言った。グニョンは涙がこぼれそうになるのをがまんしながら、「カムサハムニダ。ありがとう」と、韓国語と日本語で感謝を表す言葉を口にした。
それからふたりは時間が許す限り一緒に過ごすようになった。朝練習が休みの日は一緒に登校し、放課後はいつも一緒に帰った。グニョンは野球部の練習が終わるまで、教室で読書をしながら待っていた。そして、練習が終わる頃、野球部の部室の前で海人を待った。
ふたりが付き合っていることは、学校中の生徒の知るところとなっていた。海人と付き合うようになって、グニョンの日本語は一段と上達していった。海人もまた、グニョンから韓国語を教えてもらった。
2年生の秋の大会で台風に見舞われ、対馬高校が棄権した時、海人は学校中の生徒や教師からなぐさめの言葉をかけられたが、周囲に気をつかう海人は、平静へいせいを装っていた。しかしそのことが逆にストレスとなっていたことに自分でも気がついていなかった。そんな海人の様子にグニョンは気づいていた。
「海人、なんで自分を隠そうとするの? 辛いときは辛いって言いなさい。私が聞いてあげるから。自分の中に嫌なものをため込んでしまうと、結果的に自分を傷つけることになるのよ」
海人はやり場のない怒りに苦しんでいた。練習に身が入らず監督に怒鳴られたこともあった。しかし、グニョンのこの言葉に救われた。
3年生の春休み、対馬高校に韓国の高校野球チームが見学に訪れた。韓国では全国優勝の経験もある強豪校で、春休みに対馬で合宿をはっていたのである。対馬高校硬式野球部に練習試合を申し込んできたが、高野連の許可が必要なため、練習試合を受け入れることはできない。それならば、せめて練習を見学させて欲しいとやって来たのである。
その韓国の高校野球チームの中にグニョンの幼なじみがいた。ユ・ウソン(劉宇成)というその選手はチームの控えの捕手だった。グラウンドで対馬高校硬式野球部の練習を見学している韓国チームの人垣の中から、グニョンがウソンを見つけて声をかけた。
その後、グニョンを介して海人にも紹介され、韓国チームが合宿で対馬に滞在している間、海人、グニョン、ウソンの3人は、時間を見つけて一緒に過ごした。海人の母親が経営しているスナックで食事をしたり、グニョンが下宿している山崎のおじさんに連れられて釣りに行ったこともあった。
ウソンがプサンへ帰る前日、ウソンが海人に言った。
「海人、僕と勝負してください。1打席でいいですから」
グニョンが海人に日本語で伝える。
「よし、勝負しよう!」
海人も受けて立った。
海人、グニョン、ウソンの3人は、翌日の早朝、対馬高校のグラウンドにいた。ウソンを相手に軽くウォーミングアップをした海人がマウンドに立ち、右投げ左打ちのウソンが左打席に入る。グニョンはベンチで見守った。
「ウソンが3球空振りするまでが勝負だ。ファウルはカウントしない。それでいいか?」
海人が言い、グニョンが通訳した。
「OKです」
ウソンはうなずいた。
初球、海人は渾身こんしんのストレートを投げ込んで空振りを奪った。キャッチャーはいない。ボールはバックネットまで行って軽く跳ね返った。
「ワンストライクだ」
「はい」
構えながらウソンが答える。
2球目、海人が選んだのはタテに落ちるスライダーだった。ボールの軌道を見極めたウソンは見送った。
「良く見たな。でも本当はストライクだぞ」
海人の言葉をグニョンが通訳する。ウソンは右手の人指し指を左右に振りながら答える。「NO。ボールです」
海人はニヤリと笑って、3球目の投球動作に入る。3球目はストレートだ。初球のストレートよりやや甘くなった。ウソンはそれを見事にクリーンヒットし、右中間へ運んだ。「ツーベースか……」
海人は呟いた。
「甘くなっちゃったな。俺の負けだよ。ウソンはいいバッターだ」
グニョンが通訳すると、ウソンは照れくさそうに笑顔を見せた。
「またいつか勝負しましょう」
そう言ってウソンはプサンへ帰った。

3年生の夏の大会が終わると、海人は脱力感におそわれた。何球団かのスカウトから「指名するよ」と言われていたが、本当に指名してもらえるのかという不安があった。また、プロを目指してきたが、自分が本当にプロの世界で通用するのかという不安もあった。
加えて高校野球最後の1球も海人を悩ませた。怪我をさせた直接の原因は海人の投げたボールではない。しかし、デッドボールを与えた選手が甲子園の土を踏めなかったという事実が、同じ甲子園を目指してきた高校球児としてやるせなかった。
部活は引退し、時間はあったが、海人はひとりで居たいと思うことが多くなっていた。
一方のグニョンは、残り少ない高校生活の貴重な時間をなるべく海人と過ごしたかった。しかし、海人がひとりになりたいという素振りを見せると、海人をひとりにした。本当は高校を卒業したらプサンに帰るか、対馬で働くか、または海人と一緒に別の土地へ行くか、海人といろいろ話をしたかったのに。
そんな時、グニョンは、下宿している山崎釣り具店で、客が韓国人の悪口を言っているところに遭遇してしまう。グニョンと客は口論となってしまった。その場は山崎のおじさんが丸くおさめてくれたものの、グニョンは海人のところへ行って、話を聞いてもらいたかった。しかし、海人は家に居なかった。友人たちと島の北部へ出かけていて、今日は帰らないと母親に言われてしまう。
翌日、戻ってきた海人を、グニョンは感情むき出しでののしってしまった。非があるわけではない海人に怒りをぶつけることがおかしいことはグニョンも分かっていた。だが、海人と時間を過ごすことができないためストレスを抱えていたグニョンは、自分の感情をコントロールすることができなかったのだ。初めは黙って聞いていた海人だったが、とうとうえきれなくなり、決定的な一言を口にしてしまう。
「どうせあと少しで離ればなれだからな!」
グニョンは目に涙をためてその場を離れた。翌日から海人とグニョンは1年生の1学期の頃と同じように別々に登校し、別々に下校するようになった。
海人がドラフトで指名され、近所の人たちが開いてくれたお祝いの席でさえ、海人とグニョンが話をすることはなかった。
プロ野球のキャンプ地から帰って、海人も出席した卒業式が終わった後、海人はグニョンを訪ねた。その日のうちにプサンへ帰るというグニョンには数分しか時間がなかったが、海人は謝り、グニョンも謝った。お互いに意地を張ってしまったことを謝ったが、ふたりに将来を語る時間まではなかった。その時、グニョンは「2度と対馬には来ないだろう」と海人に伝えていたのである。ふたりは、お互い2度と会うことはないと思っていた。そのときは。

松尾の家で食事をした後、海人とグニョンは、ふたりで西川端通りを歩いた。
「ここよく一緒に歩いたね……」
グニョンが懐かしそうに言う。
「そうだなー。ただ歩いてただけなのに楽しかったなー」
海人も高校時代を思い出していた。
「私が隣にいたからでしょ」
グニョンは海人の顔を覗き込みながら言った。
「も、もちろんそうだよ。今も楽しいよ……」
海人は照れながらつぶやく。
「海人も参加するの? 独立リーグ」
グニョンが聞いた。
「まだ何とも……。今の俺は無職になっちゃったばかりだから……」
「海人は野球やめられるの?」
「いや……、俺から野球を取ったら、何ができるのか、全然分からないよ」
「だったら、やるべきよ。独立リーグで。そしてもう1回、プロの世界にチャレンジすればいいじゃない」
「そうかもしれないな……」
「そうだよ。絶対そうだよ」
「監督が理事長なんだもんな。『力を貸してくれ』って言ってもらったし……」
「おじさんは、海人に独立リーグで投げて欲しいと心から思ってるわよ」
「そうだな……。もう1回、独立リーグから出直しだな」
「私もまた海人を応援できるのね」
「ああ、応援よろしく頼むよ。グニョンが応援してくれたら、やれるような気がしてきた。よーし、がんばるぞー」
「オー」
グニョンは笑いながら拳を突き上げてみせた。海人も同じように拳を突き上げる。夜の西川端通りに海人とグニョンの笑い声が響いていた。

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